(表紙)  創立100周年記念誌  令和元年山梨県立盲学校  【写真】盲学校校舎 (中表紙)  創立100周年記念誌  「和顔愛語」  人間の大地に抱かれて  令和元年山梨県立盲学校  【写真】玄関レリーフ「和顔愛語」 (中表紙裏)  山梨県立盲学校 校歌  滝田文子 作詞 志賀 静男 作曲 昭和28年10月制定  1 むらさき におう やまやまを    よもに めぐらす ひゅうがおか    たかねに きえぬ しらゆきを    ひびに あおぎて このおかに    われらは まなぶ  2 わかくさ もゆる なまよみの    かいの くにばら すえとおみ    つきせぬ ながれ ふじかわを    かがみと なして このおかに    われらは まなぶ  3 ひかりに みつる ひのもとの    くにの うまれぞ さちなれや    むつの ほしの みおしえを    ともに はげみて このおかに    われらは まなぶ     【図】校歌 楽譜 (校内遠景近景写真写真)  「被爆アオギリ二世」  昭和20年、被爆したアオギリが焦土の中で、芽を吹き返し、被爆者に生きる希望をあたえました。そのアオギリの種から育てた苗木は「被爆アオギリ二世」と名付けられました。  平成25年、高等部本科普通科修学旅行で広島市よりいただきました。大切に育て、平和の尊さを伝えていきたいと思います。(説明板より抜粋)  【写真】3枚 校舎(グランド側から撮影)  【写真】六星館レリーフ  【写真】被爆アオギリ二世  【写真】体育館  【写真】航空写真(平成27年撮影) (山梨県立盲学校歴代校長)   初代校長 塚原 等 1919.4~1923.4  私立山梨訓盲院  第2代 近藤 光治 1923.5~1929.5 私立山梨盲唖学校  第3代 塚原 馨 1929.6~1942.3 山梨県立代用盲唖学校  第4代 若林 武 1943.6~1946.12 山梨県立盲唖学校  第5代 堀江 貞尚 1947.4~1949.4山梨県立盲唖学校  第6代 三上 鷹磨 1950.5~1962.5  第7代 丸茂 清丈 1962.4~1965.3  第8代 石川 武 1965.4~1966.3  第9代 飯島 五郎 1966.4~1970.3  第10代 佐久間 恒幸 1970.4~1973.3  第11代 日向 富士雄 1973.4~1974.3  第12代 篠原 健 1974.4~1976.3  第13代 石坂 正二 1976.4~1979.3  第14代 矢崎 厚 1979.4~1981.3  第15代 望月 勝利 1976.4~1979.3  第16代 望月 徳則 1985.4~1988.3  第17代 五味 武 1988.4~1990.3  第18代 小松 進 1990.4~1992.3  第19代 土肥 一守 1992.4~1995.3  第20代 深澤 好司 1995.4~1997.3  第21代 保坂 良住 1997.4~1999.3  第22代 篠原 昭治 1999.4~2001.3  第23代 依田 英雄 2001.4~2003.3  第24代 古澤 立彦 2003.4~2006.3  第25代 引田 秋生 2006.4~2008.3  第26代 内松 太一 2008.4~2012.3  第27代 三枝 正 2012.4~2014.3  第28代 菊島 良治 2014.4~2017.3  第29代 小松 裕子 2017.4~2019.3  第30代 成田 健 2019.4~    ※ 山梨県立盲学校 園岡 寿恵(1947.1~1947.3)松井 新二郎(1949.5~1950.3) については校長事務扱いとし校長は不在 【写真】30枚 歴代校長顔写真 (校訓 「和顔愛語」(わげんあいご)について)   なごやかな顔と思いやりのあるやさしいことば  【写真】2枚 石碑「和顔愛語」(わげんあいご)  【図】平成22年度山梨県立盲学校 シンボルマーク最優秀作品 (目次)  あいさつ・祝辞   実行委員長(同窓会会長)-2    学校長 -3    PTA会長 -5    生徒会長 -6    県知事 -7    教育長 -8    創立100周年沿革史(100年のあゆみ) -9   10年のあゆみ -17    回顧録 -21  現在から未来 -35  盲ろう教育開始70周年 -59   創立100周年記念事業の概要 -75  100周年記念展示会について -78  本校教職員名簿 -92  編集後記 -98 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2ページ  あいさつ          創立100周年記念事業実行委員会 会長(同窓会会長)廣瀬清敏  わが盲学校は、大正8年5月11日に私立山梨訓盲院として開院式を挙行しました。昭和24年にろう学校と分離して、県立盲学校となりました。今年、令和元年は創立100周年となり、盲学校となってからも、70年になります。長い歴史を積みかさねていくあいだには、幾度となく移転を繰り返し、何回も校名も変わり、その都度の役割を果たしてまいりました。ことに盲ろう教育に関しては全国でも初めて質の高い教育がなされ実践した学校として国内外に広く知られているところです。その教育の証でもある貴重な盲ろう資料が長い年月を経て劣化したため、現在その資料を後世に残すべく、研究者の協力を得てデジタル化による保存が進められているところです。このための費用は多くの企業や関係各位の貴重なご寄付、募金などによってまかなわれています。この場をおかりしまして深く感謝申し上げます。  さて、現在、盲学校の生徒の数は、全国においても減少しているようですが、わが山梨でも生徒の数は少なく、先行きが心配であります。現在、視覚障害者の中で全盲者は1割ほどだそうです。これからはロービジョン(弱視者)も大切に考えていく時代ではないでしょうか。日盲連では、日本盲人会連合から日本視覚障害者団体連合となり、山梨ライトハウスでも、「盲人福祉センター」の名称を「点字図書館」に変えていこうと計画中だそうです。また、全国の盲学校においても、盲という言葉を使わない学校が増えています。盲学校の存続と発展を遂げていくために、従来の盲学校のイメージを変えていく時期でもあると思います。  この創立100周年を契機として、次の世代に、110周年、120周年と続き、希望に満ちた発展が続くことを祈念してあいさつにかえさせていただきます。 【写真】実行委員会 会長 顔写真 3~4ページ  あいさつ   学校長 成田 健  本校創立100周年を迎えるにあたり、本校を築き支え、助け励ましてくれた全ての方に、まず感謝の気持ちを表したいと思います。今日ここに本校の100年の歩みを記録として残せるのも、そうした大勢の方々のお陰です。そして本誌のために原稿をお寄せいただいた皆様に心からお礼を申し上げます。  100年と一口で言うのは容易いことですが、その道のりは決して平坦ではなく、様々な変遷があり、種々の困難がありました。しかし、その中でも、本校では教育というものの原点、本質を常に見失うことなく、教育活動が行われてきました。本校の100年はそのような偉大な人間の営みの積み重ねなのです。  日本で初めて、学術的なアプローチを持って進められた盲ろう児への教育はその一つです。それは昭和24年から約20年間にわたって、大学の研究者とともに学校と寄宿舎が一体となって取り組んだ、当時世界で類を見ない実践的な研究でした。その詳細は本誌で述べられていますが、その当時の資料の保存・活用を目指し、歴代の校長先生や大学の先生方によって、昨年から電子化事業も進められています。  また、この盲ろう教育を含む100年にわたる歴史と伝統そのものが、偉大なものです。大正8年、初代校長塚原等先生によって、私立山梨訓盲院として甲府市連雀町に産声を挙げて以来、数多の変遷を経ながら、100年間にわたって山梨県唯一の視覚障害に関する専門的な教育機関として積み重ねてきた歴史。視覚障害によって生じる困難さや苦労を少しでも減じ、自立して生きるために必要な知識や技術、方法を教え、支援してきた幾多の教師たちの情熱や使命感。先に「教育というものの原点、本質」と述べましたが、そう呼ぶに相応しいものが、本校にはあります。  本校の校訓「和顔愛語」は、そんな本校に相応しい言葉でしょう。「大無量寿経」にあるこの言葉は、「和顔愛語 先意承問」と続きます。「和やかな顔と思いやりのある言葉で人に接して相手をいたわり、先に相手の気持ちを察して、相手のために何ができるか自分自身に問いただす」という意味ですが、本校の100年にわたる教育活動とそれを支えた精神が端的に表わされている言葉だと思います。  もちろん、学校は単独で成立しているわけではありません。県教育委員会をはじめとする、県下の教育に関わる方々、視覚障害関係を含む福祉関係の方々、本校の教育内容と活動を理解し、支援してくださっている地域の皆様、大勢の同窓生、その他本校を理解し、助け支えてくれた方々なくしては、本校は存続し得ませんでした。  学校を取り巻くすべてに支えられて、今の本校があります。100年積み重ねてきた歴史と伝統の重みと、視覚障害に関する専門的な教育機関としての使命をかみしめながら、今、私たちは新たな世紀の扉を開けようとしています。この100周年を一つのマイルストーンにして、「一歩前へ、一歩先へ」私たちはこれからも進まなければなりません。  最後になりますが、長年にわたって本校を支えてくださった関係各位に、改めて感謝申し上げるとともに、今後も一層の御指導と御支援をお願いして巻頭の御挨拶といたします。  【写真】学校長顔写真 5ページ  山梨県立盲学校創立100周年に寄せて  山梨県立盲学校PTA会長 宮下奈津子  このたび山梨県立盲学校が100周年を迎えられますことは、たいへん喜ばしくPTAを代表いたしまして心よりお祝いを申し上げます。  このような素晴らしい年に本校に関わらせていただけますことに、深いご縁を感じております。これまで山梨県立盲学校のあゆみにご尽力いただきました歴代の校長先生をはじめ教職員の方々、また諸先輩のみなさま、地域のみなさまのご理解、ご協力により記念すべき100周年が迎えられましたことに心より感謝申し上げます。  校訓の『和顔愛語』そして「梨盲ファミリー」は本校を語る上でとても大きなフレーズではないでしょうか。近年、幼児児童生徒数は減少傾向にあります。今年度も幼稚部から理療関係学科の生徒総数は23名と、とても少ない人数です。しかしながら少ないからこそ、幼児から成人までの生徒が関わり合える中で家族的な雰囲気がうまれると思います。「梨盲ファミリー」の温かな環境と『和顔愛語』(なごやかな顔とおもいやりのあることば)にあふれた校内は、いつでも子どもたち、生徒たち、先生方の笑顔があります。このような環境があることで保護者も安心して子どもたちを通わせることができます。  この学校だからこそ学べること、経験できること、成長できること、それは当たり前のことではありません。  この恵まれた現在があることは、これまでの長い長い歴史の中で多くの方々のご尽力や熱い思いの上に受け継がれてきたものと、改めて感謝し、大切に後世につないでいかなくてはとの気持ちになります。  100周年のテーマ「みんなで祝おう100周年 みんなで学ぼう母校の歩み」のように、多くのみなさまにこれまで以上に盲学校のことを知っていただき、この先も永く地域にとって、また社会にとって貴重な学びの場であり続けていただきたいと思っています。山梨県立盲学校のますますのご発展と関係者のみなさまのご健勝を祈念いたしまして、お祝いの言葉といたします。  【写真】PTA会長 顔写真 6ページ  山梨県立盲学校創立100周年を迎えて  生徒会長 渡邉伊吹  今年、私たちの山梨県立盲学校は創立から100年という節目の年を迎えました。このような記念すべき年に、在校生として巡り合うことができたことをうれしく思っております。  一口に100年という時間がどれほどのことなのかなかなか実感ができませんでしたが、1919年に山梨訓盲院が開設され、山梨県立盲唖学校となり、校舎の移設など様々な歴史を経て現在に至ることを知り、100年の歴史の重みを感じることができました。そして歴代の先輩方が築き上げてきた素晴らしい歴史の上に私たちがいることを誇りに思います。これまでの先輩方の名に恥じぬよう歴史と伝統を受け継ぎ、これから10年、100年と未来へ繋げるよう、いっそう勉学、生徒会活動に励んでいこうと強く思います。  本校は校訓である「和顔愛語」にあるとおり、和やかな顔と優しい言葉があふれる学校です。幼稚部から理療科まであり、小さな子から年配の方まで幅広い年齢層で、学部を超えての交流や一緒に行う行事など、楽しく話し合い、ともに考え、学ぶことができます。  本校では、全校で行われるイベントがいくつかあります。学年・学部の枠を取り払って行うチーム対抗での視覚障害スポーツ球技大会や新入生歓迎会などです。特に毎年の文化祭では、それぞれの学部の学習発表の劇や、模擬店などたくさんの楽しみがあります。こうした催しを通して、本校の幼児児童生徒としての意識が芽生え、愛校心や仲間と助け合う力が自然と身に付いていきます。  本校の生徒として創立100周年という記念すべき年を迎えられることを誇りとし、100年という長い年月をかけて先輩方が築いてきた伝統を忘れずに盲学校生活を過ごして参ります。そして今後200周年、300周年と伝統を継承して発展していけるよう地域の方々と歩んでいきたいと思います。  山梨県立盲学校のさらなる発展を願い、幼児児童生徒代表の言葉といたします。  【写真】生徒会長 顔写真 7ページ  100周年記念誌の発刊によせて  山梨県知事  長崎 幸太郎  山梨県立盲学校の創立100周年を記念し、『山梨県立盲学校創立100周年記念誌』が刊行されることを、心からお慶び申し上げます。  山梨県立盲学校は、大正8年に開院された私立山梨訓盲院が前身となり、盲学校として視覚障害児(者)教育が始まりました。創立から100年という歴史を通して、山梨県の視覚障害児(者)教育の中核としての役割を担ってきました。  近年、障害児(者)を取り巻く環境は、大きく変わってきています。  国では、障害者の権利の実現に向けた措置を規定した障害者の権利に関する条約の批准に向けて、障害者基本法の改正、障害者虐待防止法、障害者差別解消法の制定など、様々な法制度等の整備が進められてきました。  一方、本県においては、障害のある方やその御家族が安心して生活できるよう、不当な差別的取扱いや合理的な配慮の不提供の禁止等を内容とする山梨県障害者幸住条例の一部改正を行うとともに、「やまなし障害児・障害者プラン2018」に基づき、市町村や関係機関と連携しながら、計画的に障害者施策を推進しております。また、現在策定を進めている山梨県総合計画では、活躍「やまなし」促進戦略として、障害や疾病の有無などにかかわらず、地域での就業などが可能となり、社会の担い手として活躍するための支援を行うこととしているところです。  この100周年という節目を迎えた山梨県立盲学校において、今後も更に、質の高い特別支援教育が推進されることを期待しております。  在校生並びに教職員の皆様には、山梨県立盲学校の新たな100年の礎を築いていくことをお願いするとともに、山梨県立盲学校の更なる発展を祈念し、創立100周年に寄せるお祝いの言葉といたします。  【写真】山梨県知事 顔写真 8ページ  創立100周年記念誌によせて  山梨県教育長 市川 満  山梨県立盲学校が創立100周年を迎えられ、また「山梨県立盲学校創立100周年記念誌」を発刊されることに対し、心からお祝い申し上げます。  山梨県立盲学校の100年間の歴史は、大正8年に甲府市連雀町において設立された「私立山梨訓盲院」から始まりました。昭和17年に「山梨県立盲唖学校」となり、その後、山梨県立盲学校とろう学校と分離設置され、昭和38年に現在地である甲府市下飯田町へ移転、平成20年の新校舎完成、そして令和元年度の創立100周年記念式典と、大正、昭和、平成、令和の4つの時代と100年もの間、山梨県の唯一の盲学校として、視覚障害児(者)教育の中核としての役割を担ってきました。開校からの卒業生・修了生は1400名を超え、はり・きゅう師、あん摩マッサージ師、指圧師を中心に県内外の各分野で活躍されていると聞いております。  山梨県立盲学校には、日本で初めて系統的に盲ろう教育の実践が行われたという輝かしい歴史があります。戦後間もないころ2名の盲ろう児への、東京大学梅津八三教授ら研究者と教職員による先駆的な教育実践は大きな成果を上げ、日本の障害児教育の歴史の一つとして全国的に知られています。  これまで山梨県立盲学校では、培ってきた視覚障害教育に関わる専門性を発揮し、視覚障害のある幼児児童生徒の、個々の教育的ニーズにきめ細やかに対応し、その能力や可能性を最大限伸ばし、自立や社会参加に必要な力を伸ばすための教育を実践してきました。また、県内の視覚障害教育センターとして「Eye愛ひとみ相談支援センター」を運営し、視覚障害児(者)の教育相談・支援・啓発活動に、大きな役割を担っているところです。今後も山梨の視覚障害教育の中核として、更に質の高い特別支援教育を推進していくことと期待をしております。  結びに、貴校の幼児児童生徒、保護者、教職員の方々、盲学校を支えてくださる地域や医療・福祉・保健等関係者の皆様の一層のご発展を祈念いたしまして、お祝いの言葉とさせていただきます。  【写真】山梨県教育長 顔写真 9ページ  創立100周年沿革史(100年のあゆみ) 【図】岩窪町深澤宅イラスト 昭和21年9月~ 制作者:深澤利彦氏 10~13ページ  創立100周年沿革史(100年のあゆみ)  大正8. 4 甲府市連雀町山梨キリスト教会において、私立山梨訓盲院命名式を挙行       5 甲府市立琢美尋常小学校講堂において開院式を挙行  【写真】校舎(百石町319番地 大正8年5月~)    11. 4 聾部を併設し私立山梨盲唖学校となる   12. 4 甲府工芸学校に二教室を借り移転   13.11 甲府市百石町に新校舎となり移転  【写真】校舎(百石町105番地 大正13年11月~)  大正14.9 山梨県あんま術指定校となる  昭和6. 4 県との協定により、山梨県立代用盲唖学校となる    8. 6 山梨県鍼灸マッサージ術の指定校となる   17. 4 県に移管され山梨県立盲唖学校となる   19. 3 甲府市日向町蚕業取締所の一部に校舎を移す 百石町校舎は寄宿舎として使用   20. 4 蚕業取締所の一室を借り学校工場を設置し中等部の職員及び生徒が従事       7 甲府の空襲により寄宿舎焼失する。       9 罹災傷病者救済のため日向町の校舎を県病院に貸与 学校は西八代郡共和村下田原、若林武校長宅へ疎開  【写真】校舎(共和村下田原、若林宅)   21. 9 甲府市岩窪町の深沢寛宅の一部を借り、共和村より移転  【図】岩窪町深澤宅イラスト 昭和21年9月~ 制作者:深澤利彦氏   22. 9 甲府市岩窪町より日向町へ移転   23. 4 新学制の実施により旧制中等部が廃止 高等部(本科及び別科)設置 盲学校の義務制実施 盲ろう重複障害児の訪問教育開始   24. 3 山梨県立盲唖学校廃止 新たに山梨県立盲学校とろう学校に分離設立       4 盲ろう重複障がい児入学 盲ろう児の教育開始   25. 4 専攻科設置   26. 3 高等部理療科、はり師・きゅう師・あん摩師養成校として発足       5 山梨県立盲学校同窓会設立      10 臨床実習室を開設   28.10 校舎新築完成(日向町)校歌制定(滝田文子作詞、志賀静男作曲)  【写真】校舎(日向町 昭和28年10月~)   29. 4 文部省産業教育指定校       8 寄宿舎(星心寮)竣工   30. 5 関東地区盲学校野球大会で優勝 東京日比谷公会堂でのヘレン・ケラー女史歓迎会にて本校盲ろう児童2名がヘレン・ケラー女史と面会      12 屋内運動場新築完成(日向町)   31. 5 関東地区盲学校野球大会で2年連続優勝。全国大会に出場      10 関東地区盲学校柔道大会並びに相撲大会で優勝。県内高校相撲大会に出場   32. 5 関東地区盲学校野球大会で3年連続優勝   33. 2 天野知事盲ろう教育を視察   35. 4 灘尾弘吉文部大臣盲ろう教育視察のため来校   36. 4 文部省実験学校に指定 研究課題「重複障害児の研究」   37. 4 第2回文部省実験学校に指定   38. 1 下飯田町に新校舎、寄宿舎及び校舎完成       3 下飯田町に体育館完成、甲府市日向町の校地及び建物(校地・寄宿舎等)を県に返還、文部省実験学校の報告として算数指導の経過を報告       4 第3回文部省実験学校および山梨県実験学校に指定 研究課題「盲ろう唖の研究」       9 高松宮殿下、同妃殿下、盲ろう教室を視察、そのおり記念植樹をされる  【写真】校舎(下飯田2丁目10番2号 昭和38年1月~)   39. 2 実験学校公開発表       4 給食調理室、自動車車庫完成   40. 3 パーキンス盲学校長、ウォーターハウス氏、坂田道太代議士の案内で来校   43. 4 小学部に障害別学級編制を採用 弱視教育推進のため一般人による写本奉仕者の会誕生 創立50周年記念行事が年間を通じて行われる 図書室、理科室、家庭科室の増築 学校樹木園造園       7 盲ろう教育、読売教育賞を受賞   44. 4 第4回文部省実験学校に指定、研究課題「山梨県立盲学校における盲ろう教育に関する研究」 校庭に遊具施設完成   45. 2 グラウンドを東側に960坪拡張       5 盲ろう実験学校全国公開研究会 盲ろう研究協議会開催   46. 2 専攻科二部設置   47. 5 不燃寄宿舎新築完成   48. 4 高等部、普通科、保健理療科、専攻科理療科設置   49. 3 高等部別科廃止   50. 3 高等部本科、専攻科二部廃止       4 池田小学校、西中学校を提携校として交流教育を開始 幼稚部設置   51. 3 職員室、感覚訓練室、LL教室、放送室、印刷室の増築、幼稚部教室改造   52. 3 高等部専攻科一部廃止       7 関東地区盲学校野球大会で優勝   53. 7 関東地区盲学校野球大会で優勝   54. 4 重度重複障がい児の訪問教育開始      10 盲学校教育振興会設立   55. 3 体育館竣工 校旗新調 国旗掲揚塔完成       5 創立60周年記念式典並びに体育館竣工 新校旗樹立式を挙行       7 塑像「考える人」建立除幕式を挙行   56. 3 前庭第1期舗装工事完了   58. 3 校庭前側のフェンス改修   59. 3 校庭南側の体験学習栽培園完成 校舎前通路に点字ブロック新設   60. 1 屋外養護・訓練(築山)施設完成       5 関東地区視覚障害教育研究大会を主管開催   61. 3 体育館西側のフェンス改修       4 高等部本科普通科に重複障害学級設置       8 寄宿舎食堂、共用室の改修      10 第22回全国身体障害者スポーツ大会「ふれあいのかいじ大会」開閉会式 吹奏楽出演   62. 3 実習室(理療)改修、多目的ルーム設置及び渡り廊下屋根改修と鉄骨部塗装工事   63. 9 寄宿舎、消・防火スプリンクラーの新設  平成元. 3 寄宿舎、事務室、舎室等の改修 二輪車置場の新設       6 電話交換設備更新工事       9 校舎南側、外壁塗装工事     10 創立70周年記念式典挙行 校訓碑・時計塔の設置 記念カプセル埋設   2. 3 北館西入口の鉄製扉の取替え、寄宿舎南館屋上の防水工事        普通教室15(南館9・北館6)、特別教室3(家庭・理科・保健)塗装工事 特別教室3(家庭・理科・技術)、北館階段普通教室6の照明器具の増設       6 学校入口、校名看板の立替え工事   3. 6 治療室冷房設備設置      8 校舎北館及び南館教室内塗装工事 図書館内間仕切り工事      9 寄宿舎、校舎西側新ボイラーの交換工事   4. 1 校舎北館・南館及び寄宿舎屋上防水工事      3 職員便所(女子専用)の新設 南館廊下1・2階塗装工事      8 窓枠サッシ取替   5. 6 山梨県特殊教育研究協議会総会研究大会、本校を会場に開催      9 関東地区盲学校卓球大会開催 文化交流会館「六ツ星館」着工     12 全国学校体育研究大会第10分科会研究授業・研究会開催   6. 4 文化交流会館「六ツ星館」竣工  文部省特殊教育教育課程研究校に指定      6 県のプレスクール事業に基づき、弱視教育相談室開始 夏季・冬季休業中の相談会開始   7. 4 高等部に専攻科保健理療科設置     11 文部省特殊教育教育課程研究校として全国公開研究会開催   9. 7 インターネットホームページ開設(英語版も含む)  10. 7 関東地区盲学校グランドソフトボール大会優勝、全国大会出場  11. 5 関東地区視覚障害教育研究大会開催     10 創立80周年記念式典挙行 記念演奏会開催 盲ろう文庫設置 記念タイムカプセル埋設  12. 2 寄宿舎屋上防水工事      3 厨房水道管新設工事      7 学校開放文化講座(東洋医学的健康法・視覚障がい者理解)開講      8 全国盲学校野球大会関東地区選抜チームとして出場     10 火災報知器受信器の交換工事及び連絡引き直し工事  13. 3 LL教室、寄宿舎食堂のクーラー設置工事      6 山梨県特殊教育研究協議会総会研究大会、本校を会場に開催  14. 3 平成14年度当初予算で改築施設設備費(調査費)の計上      4 一人一台パソコン配置 校内LAN構築      6 ホームページ全面更新  15. 4 弱視教育相談室の名称を改め視覚障害教育相談・支援センターとする  16.10 盲学校・甲府養護学校寄宿舎「ひびき館」改築工事着工        全国盲学校弁論大会出場  17. 4 ふじざくら養護学校内に「盲学校サテライト教室」を設置      8 盲学校・甲府養護学校寄宿舎「ひびき館」竣工 給食が甲府養護学校と共同調理場方式となる 形態食調理実施      9 盲学校校舎棟改築工事着工 18. 7 盲学校新校舎棟竣工      8 全国盲学校野球大会関東地区選抜チームとして出場、優勝 【写真】校舎(下飯田2丁目10番2号 平成18年7月~) 19. 6 盲学校体育館改築工事着工      7 関東地区盲学校グランドソフトボール大会優勝     8 全国盲学校野球大会出場第4位、個人賞として敢闘賞受賞 20. 2 新体育館竣工 「盲ろう唖」教育教材・資料展第1回開催      3 グラウンド及び外構工事竣工、盲学校校舎改築工事完了    5 新校舎披露式及び創立90周年記念式典挙行 「盲ろう唖」教育教材・資料展第2回開催     7 関東地区盲学校グランドソフトボール大会優勝      8 全国盲学校野球大会出場 14~16ページ  「オルゴールについて」   毎年卒業式が近づく頃になると、卒業生の人数を尋ねる電話が入る。学校からは本校を巣立つ生徒の人数を伝える。すると、伝えた数のオルゴールが届けられる。ありがたいことに、この光景はもう何十年にも渡り見られる本校の風物詩となっている。そして、いただいたオルゴールは、本校から新たな一歩を踏み出す卒業生に贈呈され、生きていく中での拠り所として大切にされている。  【オルゴール贈呈の経緯】  昭和39年 盲学校高等部専攻科の生徒が「心の友」としていたクラリネットを下校途中、甲府駅の電話ボックスの中に置き忘れてしまい、その後探しても見つからず困っていたことが新聞で報じられた。そのことを知った匿名の女性から、新しいクラリネットをプレゼントしていただいたことをきっかけに女性との交流がはじまる。  【写真】 クラリネットを紛失した際の新聞記事  【写真】 匿名の女性からクラリネットを贈呈していただいた際の新聞記事   昭和40年3月 卒業式に合わせ、実社会に巣立っていく卒業生20人に、一人の女性からオルゴールが寄贈された。そのオルゴールの中には「クラリネットのことをきっかけに盲学校の皆さんの日々の努力を知りました。社会の荒波にもまれ、悲しいこと、苦しいこともあると思います。そんな時この小箱をあけて慰めの曲を聴いてください。神様の恵みはいつも皆さんと共にあります。」というメッセージが添えられていた。贈り主は「一女性」と書かれているのみで不明。 【写真】 初めてオルゴールが贈呈された卒業式の新聞記事   学校でもお礼の気持ちを伝えるために、「どなたなのか知りたい」との声もあったが、女性のご意向とお気持ちを大切にすべきと考え、調べることはしていない。  平成26年3月、50回目のオルゴール贈呈があった。50回目の節目ということもあり、世間からも注目を浴びることとなり、新聞社やテレビ局が多く訪れ、大きく報じられた。NHK甲府でも「しあわせニュース」という題名で番組が制作され、全国放送で山梨県立盲学校とオルゴールが紹介された。  平成31年3月にも、2つのオルゴールを届けていただき、卒業生に贈呈された。これまで55年間に渡り、640個あまりのオルゴールが匿名の女性から贈られ続けている。 贈られたオルゴールは、今でも社会へと巣立っていった多くの卒業生を励まし続けている。そして贈呈された卒業生は、「オルゴールが自分たちの心の拠り所となっているように、自分たちも誰かの支えになったり、人の役に立ったりしたい」という想いを抱いている。  【オルゴールの曲】   「ある愛の詩」   「ロミオとジュリエット」   「赤とんぼ」   「禁じられた遊び」   「メモリー」   「イエスタデイ」   「エリーゼのために」   「星に願いを」   「パッヘルベルのカノン」   「愛の賛歌」   「荒城の月」   「ありがとう」いきものがかり   「YELL」いきものがかり   「SOUL LOVE」GLAY   「いい日旅立ち」谷村新司   「乾杯」長渕剛   「世界に一つだけの花」SMAP   「ベストフレンド」キロロ   「どんなときも」槇原敬之  【写真】平成30年にいただいたオルゴール  【写真】オルゴールとともにいただいたメッセージ  【写真】卒業式で飾られたオルゴール 17~20ページ  10年の歩み  【写真】北館中庭南館を西側校庭から臨む  21. 6 芸術鑑賞教室(山本龍様(尺八)・藤本秀皇泉様(三味線) 邦楽)     11 芸術鑑賞教室(東京シティフィルハーモニック管弦楽団 オーケストラ)  22. 2 手作り布作品の寄贈(山梨布絵本の会)      3 県道中下条甲府線(通称飯田通り)「ライトハウス入口」の交通案内標識に「盲学校」の文字が追加表示される      6 芸術鑑賞教室(箏曲家 雨宮洋子様 箏)      7 第85回平成22年度全日本盲学校教育研究大会・山梨大会開催:主管校企画展として「盲ろう唖」教育教材・資料展開催     11 本の寄贈(NPO法人ユニバーサルデザイン絵本センター、市民サークル「星の語り部」、イラストレーター三井ヤスシ様)     12 芸術鑑賞教室(創作演奏家 登本貴夫様 民族楽器)いきいき人材活用推進事業(中学部 フードコーディネーター 奥秋曜子様)  23. 1 盲ろう教育教材資料管理運営規程制定 濱口泰雄内科校医退任への感謝の会 IHクッキングヒーターの寄贈(奥秋曜子様)      3 盲ろう教育教材・資料研究実践報告【年報】2010年度創刊号発行 視覚障害教育相談・支援センターの名称を「Eye愛ひとみ相談支援センター」とする      4 立体コピーシステムの寄贈(全国ラジオチャリティーミュージックソン実行委員会)     10 全国盲学校弁論大会出場 高円宮杯第63回全日本中学校英語弁論大会山梨県大会にて県知事賞を受賞し、中央大会出場 触図ペン「みつろう君」開発者 安久工機田中様 来校  24. 5 中国天津省視力障碍学校教員視察      6 関東甲信越地区盲学校弁論大会:主管校 第1位、芸術鑑賞教室(箏曲家 雨宮洋子様 他6名 箏・琵琶・尺八・シンセサイザー演奏)      7 幼稚部・小学部読み聞かせ会(ききみみずきんおはなしの会)   10 全国盲学校弁論大会出場     12 点字カレンダー贈呈式(イラストレーター 三井ヤスシ様)  25. 2 布カレンダーの寄贈(布絵本の会)      6 芸術鑑賞教室(アンサンブルデルフィーネ 弦楽四重奏)      7 関東地区盲学校グランドソフトボール大会準優勝  26. 2 芸術鑑賞教室(公益財団法人 大槻能楽堂 能楽)、大雪により4日間の休校。NPO法人国際ボランティア学生協会学生による雪かき作業      7 芸術鑑賞教室(ハルモニアブラスクインテッド 金管五重奏)      8 関東甲信越地区視覚障害教育研究大会開催:主管校     11 芸術鑑賞教室(こんにゃく座 ミュージカル「ピノキオ」)  27. 1 バールーペ、眼鏡式遮光レンズ、携帯型ルーペ、等視覚補助具の寄贈(株式会社セイビドー)    4 山梨県教育委員会インクルーシブ教育システムの構築に向けた「合理的配慮」実践研究事業指定(2カ年間)   6 芸術鑑賞教室(劇団ドリームカンパニー ミュージカル「ハロー、天使です」)      7 関東地区盲学校グランドソフトボール大会:主管校     11 芸術鑑賞教室(天野会 和太鼓)、発電機の寄贈(一般財団法人 古屋教育助成財団)  28. 1 据え置き型拡大読書器の寄贈(田中 仁様)      3 寄宿舎へ有線放送サービス提供(株式会社USEN)       4 視能訓練士配置(特別非常勤講師)      6 芸術鑑賞教室(三道会 三味線)      11 関東甲信越地区盲学校・養成施設進路指導協議会:主管校、芸術鑑賞教室(山本能楽堂 能楽)  29. 1 山梨県教育委員会インクルーシブ教育システムの構築に向けた「合理的配慮」実践研究 公開研究会      4 絵本の音訳CD寄贈(点訳絵本てんとう虫の会、朗読サークル野の花会)      7 芸術鑑賞教室(甲府室内合奏団 弦楽四重奏)     11 芸術鑑賞教室(山田流箏曲 香和会 箏・三絃・尺八)、小学部「手でみるプロジェクト2017」に参加(山梨大学 武末裕子准教授、県立大学 古屋祥子准教授 指導)     12 寄付(アイズアカデミー塾生による「読書大賞」の取り組みの成果。本校        図書室にサピエを導入するための費用及び絵本の購入にあてる)        CD付きの本の寄贈(株式会社どりむ社作文具術指導研究会) 30. 2 理療関係学科臨床実習機材、拡大ルーペ、レンズ類、カラーレーザープリンター寄贈(株式会社フレアス) ※山梨中央銀行地方創生私募債      4 全国視覚障害者情報提供施設協会が運営するサピエ図書館の会員に登録      7 芸術鑑賞教室(若尾バレエ学園 バレエ)     11 視機能訓練ソフト、視線入力機器とそのソフト、パソコン、iPad等寄贈(甲府ロータリークラブ)     12 「手でみるプロジェクト2018」山梨県立美術館の2階ロビーにて行われた「手でみる展覧会」参加、拡大写本寄贈式(山梨県拡大写本赤十字奉仕団員 平成26年~)  31. 3 卒業生に匿名の方からオルゴールの寄贈(昭和40年~)、点字絵本の寄贈(帝京医療福祉専門学校 小宮美砂子先生及び学生 平成18年~)  令和元.5 点訳天声人語の寄贈 佐藤明子様(平成15年~)、幼稚部読み聞かせ会(山梨青い鳥奉仕団 平成26年~)、山梨放送(YBSラジオ)を通じて、白杖と触読式ポケットウォッチの寄贈(アメディア)      6 甲府ロータリークラブ寄贈品活用について成果報告会で発表 21~34ページ  回顧録  【写真】昭和38年に建てられた校舎とその校庭の風景(六星祭(年代不詳))  創立100周年によせて  山梨県立盲学校前校長 小松 裕子  【写真】前校長 顔写真  学校の歴史は単にその学校の歩みというだけでなく、その時代を映し、教育に対する考え方や取り組み方を伝えるものだと思います。山梨県立盲学校100年の歩みは、県立の特別支援学校としていち早く設置され、県内の特別支援教育の先駆けとして幾多の困難を乗り越えてきた歴史でもありました。ここに創立100周年を迎えるにあたり、関係の皆様に心からお喜びを申し上げます。おめでとうございます。  100年の間には様々な出来事がありました。戦争で学校の子どもたちが全員、当時の校長の実家に疎開することもあったと聞きます。校舎が引っ越しの際にはそれぞれが荷物を持ち、聾の子どもが盲の子どもの手を引いて何度も校舎の間を行き来したそうです。  しかし、本校の歴史の中で何と言っても特筆すべき出来事は我が国で初めての盲ろう教育に学校として取り組んだことであると思います。生後まもなく視覚と聴覚を失った盲ろうの子どもに教育を行うことなど考えられなかった時代、初めは経済的な支援も得られないまま、山梨県立盲学校の教員は人間愛と教育への情熱だけでこの難事業に取り組みました。ほぼ先天性の盲ろうという重度の障害のある子どもたちに点字から言葉を覚えさせ、発語まで成し遂げた実践は、我が国の特別支援教育に対する考え方を大きく押し上げる契機になったと言われています。  近年、本校に在籍する幼児児童生徒には、全盲の方や単一障害の方の数は少なくなり、視覚障害以外の障害を併せ持つ方の割合が増え、教育の内容は複雑さを増して来ていますが、「一人一人を大切にする」「個々の可能性を信じ、最大限の努力をする」という教育への向き合い方は、盲ろう教育に取り組んできた時のまま脈々と引き継がれてきています。  教育においては不易と流行と言う言葉がよく使われますが、その時代のニーズに合わせて求められる教育を行っていくしなやかさと、常に変わらない一貫した教育信念が大切であると思います。在籍する幼児児童生徒数は減少しても、本校の持つ専門性への期待や要請は確実に増えています。  創立100周年を一つの節目として、山梨県立盲学校が県内唯一の盲学校として、これからも勇気を持って教育に取り組み、更に進化・発展されることを心から祈念し、お祝いのメッセージとさせていただきます。    山梨県立盲学校校歌「日向丘」のときをたずねて  本校創立100周年を迎えるにあたり、過去を振り返り学び直していく中で、多くのことを見付けることができました。その中で、本校卒業生の中に現在でも音楽活動を続けられている方がおられることを知りました。松田東先生です。在学中に箏曲部に入部し、その後も箏の道を進まれ、現在も小中学校や福祉施設でのボランティア演奏をおこなっていらっしゃいます。また、松田先生とともに活動をされている滝田節子先生は、本校校歌の作詞をされた滝田文子先生のご息女でいらっしゃいます。  今回はそのようなご縁から、当時の様子や、本校校歌にまつわるお話をお二人から伺いました。 ○松田先生は箏曲部で活動をされていたそうですが、当時の様子はいかがでしたか?  松田先生:小3の時に盲学校へ転校してきました。10歳から箏を始めて、現在まで65年続けています。盲学校に行かなければ箏をすることはなかったと思います。甲府駅北口の、現在は県立図書館の所に校舎がありました(日向町)。宿直室に箏を置き、昼は稽古場になっていました。まずは作法を教わりました。その時にご指導いただいたのが、本校校歌の作詞をされた滝田先生でした。当時の箏は絹糸で切れやすかったので糸しめを教わりながら稽古をしました。このころは高等部が62名、小中学部を合わせて100名くらい在籍していました。石川武校長先生が尺八をしていて、邦楽に理解があり、箏も充実していました。20台ほど並べて合奏をするなど、大勢で楽しい雰囲気でした。音楽教育が盛んで、放課後、歌ったり、楽器を練習したりしました。  当時は教育祭というものがあり、校外の活動で、県民会館で箏曲やブラスバンドの演奏を発表しました。 宿直室の炭の火鉢で暖をとり、餅を焼いて食べたりしたこともよい思い出です。 ○滝田先生は本校校歌の作詞をされたお母様からお話しを聞いたことはありますか?  滝田先生:まだ子どもでしたので、ほとんど聞いておりません。帳面に歌詞が書いてあったことは覚えています。  松田先生:滝田先生のお母様(滝田文子先生)は盲学校の国語教師であり、古典を教えていらっしゃいました。歌詞にそれが表れていると思います。自分の母も盲学校の音楽の教師をしていて、滝田先生のお母様と親交がありました。それから、少し時が経ち、滝田さんに箏を教えるようになりました。それ以来、私の目となり耳となり一緒に演奏活動をしています。私が滝田先生のお母様に教わり、滝田先生のお嬢様を私が教えるという、ご縁とは面白いものですね。 ○もう一度、本校校歌を聴いてどのような印象をお持ちになりますか?  本校で生徒が歌う校歌を聴いていただきました。松田先生はご一緒に口ずさんでくださいました。  松田先生:ピアノで伴奏をしたこともあり、まだ歌詞を覚えています。とても懐かしく思います。2部合唱だったので、2部を覚えて歌いました。歌詞の中に「日向丘」という言葉が出てきますが、当時の学校を思い出します。甲府駅からすぐの所でしたので、駅のホームの発車を知らせるベルが鳴ってから学校を駆け出しても発車に間に合ったような覚えがあります。 ○これからの本校、また学生に向けてメッセージをお願いします。  松田先生:趣味を活かせる人生はとても楽しいものです。私は、治療院もお箏もあり、人とのつながりが生まれました。余暇に活動できる好きなものを持てるとよいです。  滝田先生:歴史を創るのも、自分の人生を創るのも、自分たちです。  この度は、たいへん貴重なお話しを伺うことができました。また、盲学校での学生生活を、楽しそうに、そしてうれしそうにお話しされる松田先生のご様子からも、当時の盲学校の心豊かで活気に満ち、充実した学校生活を知ることができました。これらはこれからも、後代に伝えていくべき内容でした。また、本校生徒へメッセージをいただき、大きな励みとすることができました。  当日は不躾な質問に快くお答えいただきましたことをあらためて感謝申し上げます。誠にありがとうございました。  小学部 音楽特別授業(いきいき人材活用事業)に、松田先生をお招きしました。(令和元年6月)  【写真】松田先生  【写真】小学部 音楽特別授業の様子    山梨県立盲学校 創立100周年記念に思う  昭和48年度 高等部専攻科卒業生 井上 良子  山梨県立盲学校創立100周年おめでとうございます。  私が盲学校に入学したのは昭和44年の春でした。家が遠かったために寮に入ることになったのですが、親元を初めて離れる不安と見知らぬ人たちと共に生活していく勇気が私を成長させ、今の自分があるような気がします。       寮は木造平屋建ての民宿のような造りで、みんなでコタツにあたりながらおやつを食べたり、おしゃべりをしたりして、共に笑い、共に泣きながら、誰かが困っていればみんなで助け合って過ごしました。それは貴重な青春の1ページとして今も私の胸の奥に残っています。   その後2年が経ち、2階建ての寮が新築され、食堂や部屋が広くなり、風呂も男女別になって生活が快適になりました。それも今から50年ほど前の話で、かつての面影が残っているのはスクールバスの車庫ぐらいです。現在の寮は近代的な建物に生まれ変わり、さらに快適な空間になっています。   学生時代の教室は小さかったものの、黒板がはっきり見え、説明もよく分かるようになり、勉強が楽しくなりました。生徒の数も1クラスに5人から10人ぐらいで、私のクラスは当初5人でしたが、出たり入ったりで、最終的には7人で卒業しました。私が本科3年の時に保健理療科と理療科が新しく設置され、今でもこの方式で国家試験を受けているようです。   私は盲学校に進学したことで自分自身を見つめることができ、夢や希望を持ちながら、将来について考えられるようになりました。ここまで頑張ってこられたのも盲学校の土台があったからこそです。本年、盲学校が100周年の記念すべき節目を迎えられたことは本当に喜ばしく、改めて感謝の気持ちを述べさせていただきたいと思います。  山梨県立盲学校創立100周年に寄せて(ふれあいのかいじ大会)  昭和61年度 高等部専攻科理療科修了 三枝 正博【写真】顔写真  「在学する中学部以上の生徒及び教職員の有志の先生方で吹奏楽隊を結成し、第22回身体障害者スポーツ大会(ふれあいのかいじ大会)の開会式及び閉会式にて演奏する。」 そんな通達があったのは、1984年(昭和59年)、私が専攻科理療科に入学して間もない頃でした。当時、「身体障害者スポーツ大会の開会式及び閉会式で盲学校の学生が吹奏楽を演奏する」というのが通例になっており、山梨大会もそれに倣うというものでした。 思いがけない大役です。しかし、本校にはまず乗り越えなければならない大きな問題がありました。 大会は2年後。しかし、当時本校には吹奏楽部どころか楽器さえもほとんど揃っていませんでしたので、まずは楽器が揃わないことにはどうしようもありません。それに、そんな状況でしたので当然ほぼ全員が吹奏楽など未経験。経験のあるのは、中途失明で入学された元バンドマンと、元高校吹奏楽部出身者若干名のみ。その上年齢層も幅広く、中には音楽自体苦手な人もいたかもしれません。 そんな状況を克服して、たった2年半で吹奏楽隊として形にできるのだろうか・・・? 私は、そんな不安とプレッシャーでいっぱいでした。  当初練習は週に2から3回、放課後を使って行われました。とは言っても楽器が揃っていませんでしたので、しばらくの間は、全員でリズムをとる練習など、できることをやるしかありませんでした。その後楽器が揃ったところで、各楽器ごとにパート分けされ、それぞれ基礎練習に入りました。 その後の細かい練習の内容などはほとんど記憶にないのですが、吹奏楽初心者で、年齢も個性もばらばらだったメンバーも、思ったよりも早く楽器の音が出せるようになり、数ヶ月後には、与えられた課題曲も数回の練習で全体演奏ができるまでに実力を付けていたような記憶があります。 そして、1年・2年と経つ間に、演奏できる曲も、吹奏楽の定番から当時のJPOPのヒット曲、また、ロックからジャズまで約10曲を越えるまでになり、大会開催年の1986年(昭和61年)を迎えると、練習も毎日、時には午後の授業を返上して行うなど、量も密度も増して行きました。  そしていよいよ本番当日。  大会は10月25日・26日の二日間に渡って行われ、私たち吹奏楽隊はその開会式と閉会式にて演奏させて頂きました。  しかしながら、当時団体競技の山梨県選手団にも所属していたことと、それに加え、別に所属していた校外のサークルでも後夜祭にイベントを控えており、個人的に非常に慌ただしかったこともあって、残念ながら本番の様子などはまったく記憶に残っておりません。  ただ、担当がファーストトランペットと、主旋律を担当することの多いパートでしたので、「とにかくミスだけしないように」という思いだけだったと思います。  あれから30年余り。  その後盲学校の吹奏楽隊がどのような変遷を辿って行ったのかは定かではありません。  大会から2年後、縁あってあるイベントで共に演奏させて頂く機会はあったのですが、それからどうなっているのかもまったく不明のまま現在に至っております。  実力的に、上を見たら切りはありません。というよりも、まだまだ外部に聞かせるには程遠かっただろうと思います。  しかし、まったくの初心者ばかりの集団がたった2年半であの場に立てたのも、当時の音楽担当の先生、吹奏楽隊のメンバーとして加わって下さった有志の先生方、そして、時折ご指導に訪問して下さった講師の先生方等々多くの方々のお力と、こんなメンバーを同じ目線で影から支えてくれていた、数少ない吹奏楽経験者の皆様の存在があったからだと、今改めて感謝致しております。  「ふれあいのかいじ大会への吹奏楽隊の参加」は、山梨県立盲学校100年の歴史の中のほんの一瞬でしかないでしょう。しかし、あの時当事者としてあの場所にいられたことはとても光栄です。  あの時共にあの場に立った吹奏楽隊のメンバーの皆様それぞれの心のどこかに、あの3年間の記憶が、例えほんの少しでも残っていたなら嬉しく思います。  最後に、山梨県立盲学校創立100周年に当たり、当時を回想させて頂く機会を下さいましたすべての関係者の方々に、心より御礼申し上げます。  【写真】2枚 ふれあいのかいじ国体  旧校舎から新校舎へ  平成19年度 高等部専攻科理療科卒業生 飯野秀美  早いものでどうにか国家試験に合格し卒業して運良くすぐに就職出来てから11年近く経過しました。視力低下で離職してから入院などで3年半ほど経過した平成17年4月時点で盲学校に入学させて頂きました。45歳での学校生活の開始でした。何かと不安も多かったですがまわりの方々の支援を受けながらの勉強の開始でした。  盲学校の校舎はかなり古く、段差等があったり、床が沈んでいるので支えが入っていたり、廊下の天井が少し落ちそうになったりと結構大変でした。教室も夏は非常に暑かったですし、冬は暖房があまり役に立たずみんな厚着をしていた記憶があります。また、理療科の1階は増築が原因なのかもしれませんが、端から端へ移動するのに一旦中庭にでないといけないなど、けっこう不便な部分もありましたが、記憶に残る思い出となりました。  二年生の中半頃新校舎が完成して使用が開始されたので環境が一変しました。冷暖房の設備もありますし、木材を多く使用した造りなので暖かい感じがしました。全員で昼食をとる食堂ホールも良い感じでした。臨床実習室も電動昇降式の施術用ベッドになりましたし、各ブースは壁で区切られる様になったため、とても使いやすくなり嬉しかったです。両方の校舎を学校生活のほぼ半分ずつ使用した事はとても良い思い出になりました。今後入学される方は新校舎のとても良い環境で学校生活出来るのですから幸せだと思います。障がいのため学習に時間が必要であり大変ですが有意義な学校生活を過ごしてほしいと思います。  【写真】2枚 懐かしの旧校舎  全国盲学校野球大会(山梨開催)を振り返る  平成19年(2007年)8月、本校を主管校に、第22回全国盲学校野球大会が開催された。この大会には、本校は開催県代表として、平成10年以来9年ぶり4度目の出場を果たした。このときの様子を過去の資料から振り返る。  平成19年8月23日から24日まで、甲府市緑が丘スポーツ公園球技場と甲府市立北中学校にて開催された。全国8ブロックの代表校と主管校の本校、合わせて9チームが熱戦を繰り広げた。約130人をお招きし、残暑の強い日差しの中、とても盛り上がった大会とすることができた。本県での開催は初めてであり、大会主管と大会への選手派遣という大きな取り組みを同時に行ったことで、本校の団結力もいっそう強まった。  さて、本校の戦力は、前年度の大会で関東選抜チームの一員として優勝に貢献した外川主将を中心に練習を重ね、この年の関東地区予選会でも9年ぶりに優勝を決めるほど高まりを見せていた。開催県代表として出場が決まっていたが、実力でも地区代表の出場権を得られたわけである。主管校として優勝をねらった本校は、2試合を戦った予選を通過し、決勝トーナメント進出を決めた。最終結果は、3位決定戦で敗れ4位となったが、総力をあげてのこの大会はこの上なく充実したものとなった。  最後に、当時本校チームの監督を務めた本校大野修郎教諭に思い出を尋ねる。 ○本校主管が決まったことについてどのように思いましたか?  大野教諭:私が本校に赴任してきたのが平成10年度で、このとき、関西で行われた全国大会へ応援に行っていました。このときに全国大会の雰囲気を肌で感じていたので、本校が主管すると聞いたときには、重役を担ったな、大変なことだなと感じました。 ○チーム編成時、当初の苦労はどのようなものでしたか?  大野教諭:現在に比べて生徒や教員の数が多かったので、チーム編成での人数の確保には苦労しませんでした。生徒はみんな積極的で、社会人チームとの練習試合を希望するなど、高いやる気を感じました。そのようなことから、チーム編成の段階から戦力的にも大きな可能性を感じることができました。  より高い競技力を目指すようになったときには、全盲プレイヤーの強化が難しかったことを覚えています。普段見えていてもアイシェードを着用して見えないようにするので、選手はボールを捕ることも、走塁することも、慣れるまでに相当の努力が必要だったはずです。  得点力を考えたときには、足が速い、打撃力があるなど、いろいろなタイプの選手がいて、打順を決めやすかったことを覚えています。関東大会や、全国大会でも、高い攻撃力を見せることができました。 ○練習や、校内での取り組みなどはどのように感じましたか?  大野教諭:学校全体としての応援を強く感じました。大会の主管ということでそれぞれの業務を担いながらも、コーチやそれ以外のサポートなど、たくさんの協力がありました。 ○試合直前から、試合の様子などを教えてください。  大野教諭:試合前日から湯村で調整合宿をして体調も良く、万全の体制で臨むことができました。試合は、目標とした優勝をすることはできませんでしたが、外川主将はじめ全ての選手が良いプレーをして、これまでの練習の成果を十分に発揮することができました。4位という結果にも残念な気持ちこそありましたが、とても充実した気持ちをみんなで味わうことができたと思います。  また、予選リーグを勝ち上がってきた決勝トーナメント進出チームは、想像以上の強さでした。それには、驚きもありましたが、そのような強いチームと戦うという楽しさを感じました。 ○大会を終えたときの様子はいかがでしたか?  大野教諭:大会のあとは、やり終えたという安堵の気持ちがしばらく漂っていました。うれしかったのは、生徒達から『ありがとうございました』と感謝の気持ちを伝えられたことです。そのような生徒の気持ちを知りとても感動したことをいまでもよく覚えています。   生徒達は、大会に向けた活動の中でとても成長したと思います。上級生が選手をまとめて下級生はそれにしっかりとついていく、自分たちで考えて行動するという自律したチームとして集団としても個人としても逞しくなりました。その後の進路もみんな希望を叶えることができました。  ○当時を振り返っていただきましたが、今後について思うことは何かありますか?  大野教諭:生徒数が少なくなり、1チーム10人を要するグランドソフトボールの全国大会はなくなってしまいました。少し残念な気持ちもありますが、団体競技の醍醐味である一体感や連帯感というものは、フロアバレーボールやゴールボールでも味わうことができるはずです。あのような感動を現在の生徒達にも味わってほしいと思います。  当時について振り返っていただきました。  何かに夢中になって一心に打ち込むことで得られた感動は今でも大切な思い出となっているはずです。これから活躍する幼児、児童、生徒の皆さんも盲学校での輝ける青春の1ページをつくっていってほしいです。(聞き手)  【写真】2枚 全国盲学校野球大会  山梨県立盲学校創立100周年によせて  本校理療科教諭 羽田 豊  私は平成14年(2002年)に山梨県立盲学校高等部専攻科理療科に入学しました。以来令和元年の今日まで途中2年間を除き、学生、職員として15年間お世話になってきました。本校100年の歴史からするとほんの一コマにも思えますが、この間には旧校舎から新校舎への改築、特殊教育から特別支援教育への移行、それに伴う視覚障害教育相談・支援センター機能の拡充など、学習環境の整備という面においても、県下で唯一の視覚障害教育を担う役割という面においても大きな変化がありました。付け加えて私にとっても大きな変化がありました。それは学生から職員へと立場が変わったことです。それぞれの立場を知っているからこそ戸惑い悩むこともありましたが、ただ、どちらの立場でも、時代が移り変わっても変わらないのは校訓である『和顔愛語』の雰囲気だと感じています。本校西門を入ったところに校訓碑があります。その裏には「なごやかな顔と思いやりのある優しいことば」と説明が記されており、この言葉の音や雰囲気がいつも本校全体を包んでくれているように思えます。また、後世に残すべくデジタル化による保存が進められている盲ろう教育資料ですが、その当時の様子を垣間見ることのできる貴重なスナップ写真があります。これを目にするたびにその想いは一層強くなります。いつの時代も職員は学生に寄り添い、にこやかに優しく声掛けをしている。そういう姿は今も昔も変わらないのではないでしょうか。  私は今まで通ってきた学校の中で、母校といったときにはまず本校が浮かびます。振り返ってみますと、28歳で視覚障害となり、大きな不安と絶望にも似た気持ちで過ごしていた時期に通い始めた学校だからだと思います。入学後、本校の校訓である『和顔愛語』の意味を知り、学校生活を送る中でそれを実感したとき、沈み固まっていた気持ちが少しずつ和らぎ、この学校に来てよかったんだと前向きな気持ちになっていったことを思い出します。山梨県立盲学校には多くの大切なことを学ばせていただきました。  母校が令和の時代を迎え、新しい潮流の中でさらに発展していきますよう、私も日々の教育実践に努力していきたいと思います。 35~39ページ 現在から未来 【写真】4枚 校内遠景近景    幼稚部  3歳児から5歳児までの目の見えにくいお子さん、目の見えないお子さんの自主的な遊びを通して、総合的な発達を促します。また、一人一人の基本的な生活習慣の段階的な指導を行います。 1 幼稚部の学習  【写真】朝の会での日付調べ  【写真】体験あそびでの野菜の苗植え  【写真】うたリズムあそびでの始まりの歌  【写真】運動あそびでの遊具あそび  【写真】課題での型はめ              【写真】小食堂で給食を食べている様子 2 幼稚部の行事  4月 入学式  5月 春の遠足  6月 歯磨き指導、生活体験学習(4・5歳児)  9月 秋の遠足 10月 六星祭、甲府西幼稚園交流運動会(対象幼児)    11月 走ろう歩こう記録会、甲府西幼稚園交流見学会  2月 甲府西幼稚園音楽会(対象幼児)、卒業生を送る会  3月 卒業式  *その他にも、読み聞かせ会が年3回あります。 3 遠足  春と秋に自然に親しんだり、友達や先生と一緒に活動を楽しんだりすることを目的として、実施しています。今年度の春は、徒歩で池田公園へ行ってきました。  【写真】みんなで並んで歩いている様子  【写真】歩いている途中でお花を見つめている様子  【写真】池田公園での遊具あそび  【写真】池田公園でのブランコ遊び 4 生活体験学習  身の回りのことを自分ですることを目的として、買い物学習や校内での宿泊体験を実施しました。  【写真】買い物学習でのお菓子選び  【写真】夕食のサラダ作り 5 六星祭  日頃の学習の成果を発表することを目的として、劇を発表しました。H30年度は「ぐりとぐら」を発表したり、授業で制作した作品を展示したりしました。  【写真】舞台での劇の発表の様子  【写真】作品展示の様子 6 歩こう走ろう記録会  運動の楽しさや達成感を味わうことを目的として、荒川サイクリングロードで記録会を実施しました。  【写真】教師と幼児が手をつないで歩いている写真  【写真】教師と幼児が手をつないで走っている様子 7 甲府西幼稚園との交流及び共同学習  同年齢の幼児と関わり合うことを目的として、甲府西幼稚園の自由あそ びやおあつまり、音楽会に参加しました。  【写真】自由あそびで園児と三輪車で遊んでいる様子  【写真】自由あそびで園児とすべり台で遊んでいる様子  【写真】お集まりで朝の会に参加している様子  【写真】音楽会で県民文化ホールの舞台で発表している様子 8 読み聞かせ会  絵本の豊かな言葉の表現に触れ、言葉の音がもつ楽しさに気づくこと、絵本の世界を共有する楽しさを体験し、自分の知らない世界を想像してイメージを広げることを目的として、青い鳥奉仕団の方々による読み聞かせ会を実施しました。  【写真】大型絵本を見ている様子  【写真】お話に出てくる場面を実際に体験している様子         40~44ページ  小学部  子どもたちは、よく見て、よく聴いて、よく触るなどさまざまな感覚を生かしながら、元気いっぱい活動に取り組んでいます。  目指す児童像 ・よく見てよく触って五感を生かし、意欲的に学習できる児童 ・生活のリズムを整えて、毎日元気よく活動できる児童 ・友達やまわりの人を思いやり、かかわり合おうとする児童 1 小学部の1年    4月 入学式 始業式、新入・進級を祝う会(なかよし子ども会)   5月 春の遠足、なかよしクラブ(なかよし子ども会)          6月 生活体験学習、修学旅行   7月 夏の集会(なかよし子ども会)      9月 池田小交流運動会  10月 六星祭、池田小4年生による本校見学及び体験会  11月 S(触って).K(聴いて・嗅いで)ミュージアム、走ろう歩こう記録会               1月 そり・スキー教室   2月 卒業生を送る会   3月 卒業式  【写真】遠足 集合写真(オオムラサキセンター)                        2 小学部の様子 (1)遠足  友達とふれあったり、生き物に親しみをもったりすることをねらい、オオムラサキセンターに行きました。たくさんの標本を見たり、カブトムシなどに触ったりして、思い出に残る遠足になりました。さまざまな体験活動ができるように、毎年場所等を変えながら実施しています。  【写真】2枚 オオムラサキセンターにて                             (2)生活体験学習  基本的生活習慣や日常生活の知識・技能を確認し、自分でできること増やすことをねらい取り組んでいます。友達と一緒に学校に宿泊する中で、それぞれが自分の目標をもち、協力し合いながら、活動にしっかり取り組むことができました。           【写真】夕食づくり                                       (3)修学旅行  関東方面に修学旅行に行きました。楽器学資料館では、たくさんの楽器を実際に触ったり、弾いたりして、珍しい楽器の音色を楽しむことができました。船の科学館では、カヌー体験や南極観測船「宗谷号」のタッチツアーに参加しました。貴重な船について五感を活用して学ぶことができました。  【写真】楽器学資料館にて  【写真】船の科学館にて (4)地域の学校との交流  生活経験を広めたり、同世代の友達とのかかわりを深めたりすることをねらい、地域の小学校と教科や学校行事などにおいて交流をしています。交流運動会では、運動会に向けて小学校に通い練習に励み、当日は練習の成果を十分に発揮できました。  【写真】2枚 交流運動会                 (5)六星祭  互いに交流を深め、協力し合いながら、学習の成果を発表することをねらい、六星祭の学部発表等に取り組みました。一生懸命に準備、練習し、本番では十分に成果を発揮できました。六星祭を通し、大きく成長することができました。  【写真】舞台発表 (6)SK(触って、聴いて、嗅いで、感じて)ミュージアム  生活科や総合的な学習の時間などの様々な授業で、調べたり学習したりしたことを、みんなに発表しています。保護者の方々、他学部のお友達、教職員等、大勢の方が観に来てくれました。  【写真】総合的な学習の発表  【写真】合奏の発表 (7)手で見るプロジェクト(美術館や大学との連携)  山梨県立美術館の「手で見るプロジェクト2018」の一環として、美術館、大学の先生や学生と一緒に図工などの授業を行いました。たくさんの方々とかかわり合いながら陶芸粘土等で楽器づくりに取り組みました。自作の楽器で楽しく合奏ができました。作品は県立美術館に展示され、たくさんの方に見ていただきました。  【写真】陶芸粘土に触ろう  【写真】県立美術館での展示 (8)なかよし子ども会  なかよし子ども会では、役員を中心として集会の企画や運営を行い、小学部全員で様々な活動に取り組んでいます。進級を祝う会や夏の集会、やきいも大会など、季節を感じながら、みんなで作った物を食べたり、ゲームをしたりして交流を深めました。  【写真】新入進級を祝う会  【写真】やきいも大会  子どもたちは、助け合いかかわり合いながら、学校の中や外で、いきいきと活動に取り組み、学んでいます。これからも、実感をともなった体験や活動に取り組み、深い学びを目指していきたいです。 44~49ページ  中学部・高等部本科普通科  中学部及び高等部本科普通科では、協力することや集団で活動することの良さを実感することなど、社会性を養うため、集団での授業や活動の機会を最大限増やすために合同での活動場面を設けています。 1 1年間の様子  4月…入学式、始業式、学部集会【学部】  5月…障害者スポーツ大会【外部団体主催】へ参加。H30年度はSTT(サウンドテーブルテニス)へ1名の選手が参加しました。  6月…宿泊学習(1泊2日)、中学部職場見学※中学部のみの行事です。 高等部現場実習 ※現場実習事前学習会、報告会は中学部も参加します。甲府城西高等学校との交流(体験活動の交流、学園祭への作品展示)※中学部、高等部本科普通科とも作品展示していただきます。  7月…校外学習【施設見学・体験】1学期終業式。  8月…夏季休業  9月…甲府市立西中学校学園祭見学【学校間交流】※中学部のみ  10月…関東地区盲学校卓球大会(栃木)【外部団体主催】に参加しました。山梨県特別支援学校スポーツ大会(南アルプス市)【外部団体主催】へ希望者が参加しました。 11月…関東地区盲学校陸上競技大会(埼玉)【外部団体主催】、走ろう歩こう記録会【体育科】荒川サイクリングロードにて、40分間のランニング、ウォーキングに自分のペースで参加しました。体育の授業での練習の成果を発揮しました。甲府市立西中学校合唱祭参加【学校間交流】※中学部のみ  12月…科学実験教室【理科・体験】  1月…そり・スキー教室【体育科】  2月…学部まとめの会【学部】、卒業生を送る会【生徒会主催】  3月…卒業式  【写真】2枚 そり・スキー教室の滑走している様子、集合写真 2 平成30年度に実施した中学部・高等部本科普通科の活動についての主な目標 (1)学部集会【学部】 目的  ①新学年の友達や先生の様子を知る。  ②レクリエーションなどの活動を通して友達や先生とのかかわりを楽しむとともに今後の学校生活に対して期待感をもつ。  ③学部における簡単なきまりを知り、守ることができるようにする。 ※下飯田水宮公園まで歩いて出かけました。記念撮影をしたりゲームをしたりして過ごしました。  【写真】2枚 水宮公園で活動している様子、集合写真 (2)宿泊学習 目的  ①宿泊学習を通して、生徒同士及び教師とのかかわりを深める。  ②公共の施設や交通機関を利用し、ルールやマナーを学ぶ。  ③体験学習を通して、日頃の学習のまとめや、発展を図る。  ④自然に親しむなど、生活経験を豊かにする。  ⑤宿泊学習にかかわって、自分の立てた目標を達成しようと努力することができる。 ※R元年度は甲州市方面、H30年度は清里方面で実施しました。  【写真】2枚 野外観察で遊歩道を歩いている様子、宿泊学習でカレー作りをしている様子 (3)校外学習 目的  ①公共の施設や役割などについて知る。  ②余暇活動としての活動のひとつとして、施設の様子をみたり、体験したりする。  ③公共施設利用のマナーや、集団行動のルールを学ぶ。  ④スポーツ活動を経験し、個々の目標に応じて上達する。 ※H30年度は見学先の施設を利用してスポーツ体験をしました。  【写真】プールでの活動の様子 (4)中学部職場見学 目的   ①社会に目を向け勤労の大切さを知り、働くことへの興味や関心を高める。  ②見学や体験を通して社会生活及び働くことについて学ぶ機会とする。  ③学校とは異なる環境での活動を通して経験を広げる場とする。  【写真】2枚 ヤマト運輸株式会社での職場見学の様子 ※R元年度…ケアフィットファーム・葡萄屋kofu本店  H30年度…ヤマト運輸株式会社 山梨主管支店  H29年度…中北教育事務所、東日本旅客鉄道株式会社 八王子支社甲府駅      H28年度…甲府地方裁判所 (5)中学部修学旅行 目的  ①日本の古都、奈良・京都の文化財や歴史的背景、地域の文化などを感じることで視野を広げると共に生活経験を豊かにし、今後の生活に役立てる。  ②公共施設や交通機関を利用し、ルールやマナーを学ぶ。  ③これまで学習を積み重ねてきた、感覚の活用についての学習の成果を生かして様々な活動を味わう。  【写真】3枚 京都、奈良方面での修学旅行の様子(金閣寺、八つ橋作り、東大寺での柱くぐり) ※R元年度は京都奈良方面に行きました。 (6)高等部修学旅行 目的  ①沖縄の歴史、文化、風土、自然について触れ、生活経験を豊かにする。  ②我が国で唯一地上戦が展開されたことを学び、平和の尊さを考え、戦跡を訪れさらに考えを深める。  ③公共施設や交通機関を利用し、ルールやマナーを学ぶ。  ④これまで学習を積み重ねてきた、感覚の活用についての学習の成果を生かして様々な活動を味わう。  ⑤生徒同士および教師との人間関係を深めながら思い出を作る。  【写真】3枚 沖縄での修学旅行の様子(ホテルの庭で海をバックに集合写真、シーサーの触察、美ら海水族館) ※H29年度は沖縄へ行きました。 (7)高等部現場実習【就労希望生徒】 目的  ①個々の実態や希望に応じた卒業後の生活を想定し、本人及び関係者が連携して、学校から社会への移行を具体的に検討する場とする。  ②実習、見学、面談を通して進路選択の幅を広げ、卒業後の生活に見通しをもたせる。  ③学校とは異なる環境での活動により経験を広げ、社会生活及び働くことについ 直接的な経験を通して学ぶ機会とする。  ④保護者が実習を通して生徒の実態を把握すると共に進路先や地域サービスの状況を理解し、卒業後の生活について具体的に考える機会とする。 ※卒業後の進路を決定するための実習として実施しており、1年生から3年生まで第Ⅰ期、第Ⅱ期の年間2回、計6回実施しています。過去5年間を見ると3学年第Ⅱ期が卒業後の進路決定のための現場実習となっています。  【写真】2枚 現場実習での食品加工の様子 (8)学部まとめの会【学部】 目的  ①1年間の活動を振り返り、その成果を確認し合う。  ②学年の進行に伴い、現在のメンバーがかわることを知るとともに、楽しく過ごすことのできた思い出とする。  ③一緒に過ごした仲間たちへ感謝の気持ちをもつ。 ※例年、中学部1学年の生徒が企画立案して実施します。  【写真】3枚 まとめの会の様子(お菓子作り、反省会、ゲームの様子)  心と身体が大きく成長し、勉強の内容が増え、日常生活においても自分のことだけでなく、学校の中でもいろいろな責任を持つようになるこの時期に、ともに過ごした仲間は生涯の友となります。生徒も教師もこの時間が思い出深い大切な時間となるように、様々な活動を一生懸命に行っています。 50~52ページ  理療関係学科  理療関係学科は、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の国家資格を取得して職業的に自立するために、日々学習を重ね技術を磨いています。また、施術者として態度や人間性を身につけるために様々な活動に参加し経験を積み重ねています。 1 理療関係学科目標  ・基礎基本を大切にしながら、様々な見学や体験を通して学力と技術の向上を目指す。  ・専門的知識と技能を備えた施術者を目指す。  ・施術者としてふさわしい態度や人間性を身に付ける。  ・コミュニケーション能力の向上を図り、社会に柔軟に適応できるスキルを身に付ける。 2 理療関係学科の一年  4月:第1回実力テスト(2・3年生)  5月:進路ガイダンス(全学年)  6月:山梨大学医学部見学(2・3年生)、特別講座 ペインクリニック(専理3年)  7月:整形外科病院見学(3年生)、基礎医学試験(2年生)  8月:施術所見学 専保3年1日 專理3年2日、第2回実力テスト(2・3年生)  9月:特別講座 漢方薬の話(3年生)、特別講座 医療体操(2年生) 10月:マッサージ治療院見学(3年生)、特別講座 義肢装具の実際(2年生)、 特別講座 指圧(2年生) 11月:国家試験オリエンテーション(該当者)、第3回実力テスト(理教連模擬試験)(3年生)、特別講座 鍼灸治療(専理3年生) 12月:鍼灸治療院見学(専理3年生)、特別講座 保険の取り扱い(3年生)、特別講座 手技療法治療(3年生)  1月:第4回実力テスト(3年生)  2月:国家試験激励会(該当者)、あはき師国家試験(該当者)  3月:あはき師国家試験合格発表(該当者) 3 理療クラブの活動  理療クラブは理療関係学科の生徒が自主運営する組織で、会員は理療関係学科の生徒全員です。  このクラブは、地域の皆様への治療奉仕活動や研究活動を通して、理療関係学科に所属する生徒が知識、技能の拡充を図ると共に、施術者としての意識を高めるために活動しています。   4月中旬 理療クラブ前期定期総会   6月上旬 検校祭 検校祭は現代の日本での刺鍼法の主流となっている管鍼法を確立し、視覚障がい者への体系的な鍼教育の礎を江戸時代に築いた杉山和一検校の遺徳を偲ぶ行事です。治療奉仕には、多くの地域の方々にお越しいただきました。  【写真】「地域の皆さんへの治療奉仕」「午後の教員と生徒の実技交流」  7月中旬 理療クラブ講演会 「スポーツテーピング」自身や患者様のけがの予防や応急処置の勉強のために、整骨院院長を講師に招いて皆で体験をしました。捻挫や突き指など日常的に見ることが多い怪我に対するテープの巻き方を中心に術者、被術者両方の体験をしました。  【写真】「足関節のテーピング」「手指のスパイラルテーピング」  12月上旬 理療クラブ役員選挙公示  12月中旬 理療クラブ役員選挙  12月下旬 理療クラブ研究発表会 理療クラブ研究発表会では1、2年生はテーマを決めて文献を調べたり、実験をしたりしたことを発表しました。午後には実技交流会を行いました。  <平成30年度理療クラブ研究発表会テーマ一覧>   ①專保1年 「便秘について」   ②専理2年 「脊柱起立筋に対するパルス療法の効果について」  1月下旬 理療クラブ後期定期総会及び新役員認証式  3月上旬 理療クラブ研究集録発行 4 池田地区健康祭り  地域交流の一環として、日頃からお世話になっている池田地区の皆様へ治療奉仕を実施し、西部市民センターの1階和室において生徒と理療科教員がひとり30分のあん摩を行いました。  【写真】池田地区健康祭りでの治療奉仕 5 六星祭  理療関係学科では、アーチの制作と食べ物模擬店を出店しました。  (1)アーチ 第56回六星祭の「百花繚乱 笑顔という花を咲かせよう」というテーマの元にアーチを作成しました。 第56回六星祭というタイトルの周りをお花紙や折り紙でつくったカラフルで様々な形の花で飾り、百花繚乱をイメージしました。  (2)食べ物模擬店 専攻科保健理療科1年は『餅ろん!うまいっ亭』という店名で、「ずんだ」と「ごまあん」の2種類のお団子を販売しました。専攻科理療科2年は『soco壱番屋』という店名でカレーとナンのセットを販売しました。カレーはスパイス香るキーマカレーと、甘口のビーフカレーを用意しました。  【写真】「作成したアーチの前で記念写真」「カレー屋コスチュームで記念写真」 53~56ページ  寄宿舎    遠隔地の児童生徒の通学を保障するとともに、家庭では取り組めない課題を支援し自立を促しています。  年齢差のある集団の中で生活することにより、互いに尊重し合いながら心の触れ合いを体感し自主性や社会性を育みます。 1 寄宿舎の行事  4月 入舎式 盲・甲府支援関係職員及び舎生対面式 舎生オリエンテーション 舎生会定期総会 新入舎生歓迎会  6月 ひまわり親子お楽しみ会 地域交流  7月 納涼祭  9月 健康に関する研修会  10・11月 地域交流  12月 体験入舎  1月 舎生会役員選挙  3月 退舎式・卒業を祝う会   *その他にも、季節行事や外出活動など行っています。また、安心、安全に生活できるように本校避難訓練3回、甲府支援との合同避難訓練2回行っています。 2 寄宿舎の概要  山梨盲学校の寄宿舎の歴史は、盲ろう学校が設立される前から存在していましたが、特に昭和24年からは、全国でも初めて盲ろう教育が始まった原点とも言われています。重複盲ろう児を3名の寮母が24時間体制で、不眠不休の泊まり込みでの家庭指導から始まり「学舎一体」で指導をしてきました。その後、時代と共に、盲学校とろう学校が、別の学校となり現在に至っています。寮母の名称も寄宿舎指導員と変わり、指導体制も交代制に変わりましたが、「学舎一体」指導は受け継がれています。  昭和50年代頃は、理療科生徒が主流で40名前後の舎生がいましたが、年々、幼児児童生徒数の減少もあり、令和元年度は、男性11名、女性2名の舎生が在舎しています。  平成17年度には、寄宿舎『ひびき館』に建て替えられ、1階は肢体不自由の学校の寄宿舎、2階は盲学校の寄宿舎となりました。 3 寄宿舎の運営  本校寄宿舎は、通学や学習を保障するとともに、生活の教育場面としてとらえ家庭だけでは取り組めない課題を支援しながら、健康で心豊かな人間を育成し、自己実現・社会自立ができる力を養うことを目標に、個々の教育目標に沿って寄宿舎運営をしています。また、家庭・学校・寄宿舎の連携を大切に考え、「学舎一体」での指導を行っています。  宿泊形態は、全泊、曜日泊とあります。また、宿泊保障のみではなく放課後友だちや仲間と過ごす放課後利用があります。それぞれの形態を組み合わせて利用している舎生もいます。 4 寄宿舎の日課  授業を終えた小学部生が帰ってきます。その後、普通科生や専攻科生も学校生活を終え帰ってきます。そして、翌日の登校時間の8時30分までが寄宿舎の生活になります。食事や入浴、学習時間と大まかな時間は決められていますが、その他の時間は自分で生活を組み立て、目標である自立に向けてお互い助け合い、協力し合いながら生活しています。 5 生活経験の拡大と願い  集団生活をとおして協働・協力することが将来の働く力になりキャリア教育に繋がると考えています。寄宿舎では、仲間と共に生活を送り活動を行うことで、生活や経験を積み重ね少しずつ成長できることを願い、日々取り組んでいます。  高等部生は、それぞれの就職先、進学先へ、理療科生は、最終目標である国家試験に合格し、社会の一員として働きながら自立した生活をおくり、豊かな人生を歩んでほしいと願います。 6 アルバム  昭和20年代  【写真1】昭和20年代 寄宿舎。  【写真2】昭和24年から学舎一体で、盲ろう教育開始。  【写真3、4、5】寄宿舎の朝の体操、歩行指導、遊びの様子。  昭和30~50年代  【写真6】昭和38年1月 下飯田に寄宿舎完成。  【写真7】せいしんりょう看板の写真。  【写真8】昭和54年4月春の遠足で遊園地へ。  平成元年~令和元年  【写真9】平成17年8月 寄宿舎「ひびき館」完成1階;甲府養護(甲府支援学校)2階;盲学校。  【写真10】ひびきかん看板の写真。  【写真11】平成13年7月納涼祭でバーベキュー。  【写真12】学習室:パソコンや拡大読書器で勉強。  【写真13】舎室は、2人部屋で個室。  【写真14】快適な浴室。  【写真15】地域交流でおやつ作り。  【写真16】舎生会行事の流しそうめん。  【写真17】ハロウィンで仮装。 57~58ページ  Eye愛ひとみ相談支援センター  Eye愛ひとみ相談支援センターは、校内組織のひとつで、地域支援を担っています。本校在籍にかかわらず、赤ちゃんからお年寄りまで、県内の目や見え方に心配のある方の相談や支援を行っています。  目的 本校は県内で唯一の視覚障害教育の専門性を有する学校である。この専門性を生かし、視覚障害児者のための教育相談や啓発支援活動を推進し、地域における支援センターとしての役割を果たす。 1 Eye愛ひとみ相談支援センターの1年  凡例 (幼)主に乳幼児対象 (弱)弱視学級等対象 (全)全年齢対対象  4月 山梨県弱視教育連絡協議会第1回研究協議会(弱)  5月 継続教育相談開始(幼)  6月 第1回親子学習会(幼)  7月 サマースクール(全)、夏のEye愛ひとみ相談会(全)、療育施設訪問相談(幼)  8月 夏のEye愛ひとみ相談会(全)、療育施設訪問相談(幼)  11月 第1回弱視児合同学習会(弱)、第2回親子学習会(継続教育相談)(幼)、視覚障害専門部特別支援連携協議会(全)  12月 冬のEye愛ひとみ相談会(全)  1月 第2回弱視児合同学習会(弱)  2月 山梨県弱視教育連絡協議会第2回研究協議会(弱)  3月 春のEye愛ひとみ相談会(全) 2 こんな相談に対応しています (1)乳幼児 ・見え方のチェックとアドバイス(臨時相談) ・見えない・見えにくい子の子育て ・目や手を上手に使う力をつけたい(継続教育相談あいあい教室) ・小学校での学習へ向けて、視覚補助具を使って見えにくさを補う力を付けたい  【図】乳幼児イラスト (2)児童生徒(学齢期) ・視力や目の使い方のチェックとアドバイス(臨時相談) ・黒板や教科書、定規の目盛りなどが小さくて見えにくい ・単眼鏡・近用レンズ・拡大読書器・iPad・拡大教科書などを使う技術を高めて見やすくしたい ・弱視児が使いやすい、見やすい文房具を知りたい ・視覚障害のある友達と一緒に活動したい(山弱連:合同学習会) ・弱視児への支援方法について知りたい(学校支援)  【図】学齢期、小学生イラスト (3)成人 ・見えにくくなってきて仕事を続けるのが大変になってきた ・手に職をつけて職業自立をしたい ・新聞を読みやすくする視覚補助具を知りたい ・パソコンやiPadを便利に使って色々な情報を得たい ・生活を便利にするような道具や便利グッズを知りたい  【図】成人イラスト 3 平成30年度の年間相談件数 臨時相談 70件 継続教育相談 12名 小中学校弱視教育支援 12校(12名) 訪問相談 119名 4 10年間の相談件数(平成21年度~平成30年度) 臨時相談 のべ 591件 継続教育相談 のべ 140名 小中学校弱視教育支援 のべ 126校(126名) 訪問相談 のべ 904名 5 10年間の相談件数の推移(平成21年度~平成30年度) 支援内容別年間件数の推移をH21年度からH30年度まで年度区切りで列挙する。 年度、H21、22、23、24、25、26、27、28、29、30 臨時、45、48、55、41、47、61、57、87、80、70、計591 継続、16、22、21、15、13、12、9、8、12、12、計140 小中、10、8、9、13、18、16、14、12、14、12、計126 訪問、73、76、84、93、67、99、98、91、104、119、計904 59~74ページ  盲ろう教育開始70周年  【写真1】DB指導の注意(志村記) S32.12.29      盲ろう資料番号 25-50-2   これは記録ノートの画像である。 そこには横書きで次のように記載されている。  1 急がば廻れ。  2 いつも 話しかけろ。  3 教師には目標 こどもには興味。  4 いつもこどもと一緒に動け。   5 機会を把むこと。  6 実験 観察 → 分析 → 判断  7 叱るのを ちょっと 止めてー  8 ほめてやりなさい。  9 盲であることとー聾であることとー 10 今、こどもは どんなところにあるのか。       日本初の盲ろう教育 農家の蚕室から 世界へ  山梨県立盲学校第25代校長 日本盲教育史研究会会長(2011年~2018年) 引田 秋生  日本初の盲ろう教育が、戦後間もなく、甲府北部の農家の蚕室で構想されたと聞いていぶかしむ向きもあろう。更に、これが後の1965年3月、米国のパーキンス盲学校ウォーターハウス校長の訪問に繋がるとは誰が予想できたであろうか。パーキンス盲学校はヘレン・ケラーが通った学校としても有名である。地方の盲学校で始まった実践研究が長年にわたる文部省の実験学校の指定も受け、その成果が世界から注目されるようになった背景にはどのような取り組みがあっただろうか。盲ろう教育開始から70年、そして本校創立百周年に当たり振り返ってみるのは有意義なことと思われる。  1947年4月に東京都のろう学校教頭から山梨県立盲唖学校校長とした赴任した堀江貞尚は、盲学校聾学校の義務制が実施された1948年に小中学校、師範学校の協力を得て全県下の盲聾児童の実態調査を実施した。堀江自身が実際に踏査しその中で「教育可能」とされたA・T男を発見、その訪問教育を1949年に開始することになった。実態調査もさることながら、前人未踏の盲ろう教育に踏み切った堀江の勇気と先見性は注目される。しかもそれが、農家の蚕室を借りた仮校舎で構想されたことは驚きである。  その後、三上鷹麿校長に引き継がれるが、担任の志村太喜彌教諭や寄宿舎の寮母らの献身的な指導にも拘わらず、試行錯誤の連続で困難に遭遇した。三上は当初、東京教育大学附属盲学校校長松野憲次、同附属聾学校校長川本宇之介を顧問として基本方針を協議し、日本点字を用いた点字学習を図ること 身振りサインによる初期の生活訓練などの基本方針を決定した。  更に、梅津八三東大教授を始めとする大学の研究者で盲聾教育研究会を発足させ (1952年)、弁別による点字学習、指文字など言語学習の基礎、概念形成のための基礎学習の実践研究を進めていった。学術的な面からサポートすると共に、教材製作など物心両面から強力な援助を行った。とりわけ、後の東京水産大学教授中島昭美は重複障害研究所の理事長でもあり、研究所や別荘を盲ろう児との合宿の場として提供するなどして、梅津と共に実際の指導に当たったことは特筆される。このような、当時の日本の英知を結集して、大学の研究者と共に実践研究を行ったことが大きな成果を生むことに繋がった。この実践研究を梅津は、学位論文「盲ろう二重障害者の言語行動形成についての心理学的研究」として発表し(1961年)、文部省発行の「盲児の感覚と学習」(1968年)等にも繋がっていく。  そして、その教育の過程で残された2,250点あまりの指導記録・学習記録(墨字、点字、写真、音声、映像等)、教材教具が2011年に盲学校に戻ってきてから、貴重な盲ろう教育資料として注目を浴びるようになった。更に、これらの資料の電子化についても、岡本明筑波技術大学名誉教授を始めとする福祉情報工学関係の専門家が関わり進行中である。  大学の研究者と共に、校長、学級担任、寄宿舎の寮母が一体となり取り組むという研究体制、指導体制はその当時世界に類を見ないものであり、そのことが日本における初の盲ろう教育として大きな成果を収めたといえる。そして、今また、その資料の電子化保存についても、大学の研究者と共に進めていることは大きな意義がある。  更に、2018年3月、「日本最初の盲唖院」である京都府立盲学校の明治期の資料が文化庁の重要文化財に指定された。公立学校の資料の重文指定は初めてという。時代と内容こそ違うが、山梨の盲ろう教育に関する稀有で貴重な資料群は文化財としての価値があると多くの大学研究者が指摘しており、今後、文化財としての指定も含め、電子化と並行して原資料そのものの保存の取り組みも課題となっている。  【写真】盲聾教育研究会合宿 M・K男とローマ字式指文字で会話をする中島昭美氏 右端は、志村太喜彌教諭  【写真】テキストの転写学習 右手前Y・S 子 中央M・K男 左奥A・T 男 1 本校の盲ろう教育実践を繙く  【写真】三上鷹磨校長と盲ろう生徒  本校創立80周年記念事業が具体化する前の平成9年10月17日、昭和24年(1949)に日本に初めて設置された盲ろう学級担任を務めた元本校教諭富田和子様から、当時の写真と指導の記録をまとめた「ある盲聾児の初期指導」が送られてきた。手紙には、「自身の存命中にこの記録の整理をと念願いたし、ささやかな冊子にまとめました。」と記してあった。  この2カ月前の7月に開設した本校のHPには、校長が挨拶の中で、「盲ろう教育に関する資料の収集やまとめも本校の責務である」と述べている。また、平成10年には本校HPをきっかけにカナダの全盲の女性、Dena Shumilaさんが盲ろう教育のことを知りたいと訪ねてきた。  これらのことから、本校として何らかの形で関係資料の整備を行うことが必要だと思われた。創立80周年記念事業実行委員会が正式に発足し、事務局の中に記念誌編集係が設けられ、「盲ろう教育50周年」の特集を組むことが決定された。 しかし、いざ資料の収集となると、当時の校長は既に他界され、ご遺族を訪ねても、資料等は処分されており、ほとんど得ることができなかった。そこで、当時ご健在であった学級担任や寮母の皆様に貴重な資料や記念誌掲載の原稿をお寄せいただいた。さらに、当時の国立特殊教育総合研究所の菅原裕行氏や中澤惠江氏(現学校法人 横浜訓盲学院長)からは、堀江校長や東京大学の梅津博士に関する資料や情報の提供をいただいた。  その後、本校で盲ろう教育を行っていた当時の実践に学び、現在の教育に生かしたいという思いから、「盲ろう教育」教材資料整理及び調査研究を創立90周年の記念事業の取り組みとして位置付けた。当時の教材資料は、特別支援教育総合研究所総括研究員であった中澤惠江氏により、散逸することなく大切に管理保管されていた。中澤氏の全面的な協力を受け、平成19年12月25日~27日の3日間に渡り、本校職員3名が調査研究を行った。この調査は、全国盲ろう教育研究会事務局長の星祐子氏(現独立行政法人 国立特別支援教育総合研究所 インクルーシブ教育システム推進センター上席総括研究員(兼)センター長)にも協力をいただいた。当時の資料は50年以上たつものもあったが、大変良好な保存状態にあり、その実践の記録がきめ細かく記され、授業のノートや指導者の記録や往復書簡、日誌、日記、写真とそのネガなど、全てが残されている様子であった。かつて関係者が膨大な教材・資料を整理し、系統立ててこの教育を体系的に捉えていることも実際に間近に感じることができた。本校職員は、この教材・資料の全容を明らかにすべく、すでにナンバーリングされていた資料を並び替え一覧表を作成したところ、2,250点以上の資料に上ることが明らかになった。  【写真】2枚 国立特別支援教育総合研究所盲ろう教材資料調査(平成19年12月)  そして、膨大な資料の中から200点の資料を貸し出していただき、創立90周年記念事業の一環として平成20年2月29日から3月2日までの3日間、全国に向けて教材や資料を公開する「盲ろう唖教育教材・資料展」を開催することになった。      また、開催初日には、中澤恵江先生を講師として、「日本における盲ろう教育について」という演題で御講演をいただいた。この講演会には本校職員だけでなく、全国の盲学校・ろう学校・特別支援学校関係者、大学関係者(研究者及び学生)、視覚障害福祉施設関係者及び盲ろう教育に関心のある方の来場があった。 講演で中澤氏は、まとめとして次のように述べている。「翻って、山梨の実践というのは今どこで生きているのだろうかというところを最後の締めに申し上げます。私は、この山梨の実践を研究の面から担った梅津八三先生から学んだ者で、そして、また梅津先生の影響は、実は私どもの研究所に大変強かったのです。この考え方は、日本のかなり多くの重複障害教育、盲ろうに関わる研究者に広がっています。それは、この山梨の実践のお陰です。それから、このチャレンジ精神、子ども中心に進めていくという教育方針は、いつも新しいものだと思います。そしてもう一つ、山梨のことで聞いて心に残っているのは、一度うまくいったものに、しがみついてはいけない、いつでも壊して前に進めていくということを聞きました。実はすばらしい実践ほど、そこから抜けられなくなってくるっていうことがあるのです。目の前の子どもは違うのに。そのあたりを私たちは山梨から学んで、自分たちの実践に生かしていきたいと思っております。」  資料研究調査及びこの教材資料展を通して、「寮学一体(舎学一体)」「生活即学習」の実践の中で、科学的で長期的な見通しのもと、身振りサイン、点字、指文字、触話、発声などが実験され、それらを活用した生活化が取り組み続けられていること、それらが発展して点字テキストによる算数、国語、理科、社会、図工、体育などの教科学習に結びついている筋道が分かった。大変な長い道のりであることは容易に想像がつく。盲ろう児が抱えているハンディの大きさもさることながら、それを補っていこうという壮大な教育活動を目の当たりにすることができる。本校としてこれらの資料の重要性を再認識し、今後の公開の必要性を実感する機会となった。現在の特別支援教育の原点とも言える当時の実践研究を繙き、現在から将来の教育に活用工夫していくことは、意義深いことである。  【写真】2枚 創立90周年記念事業「盲ろう唖教育教材・資料展」及び記念講演の様子(平成20年2月29日) 2 教育の原点「盲ろう教育」実践の意義 (1)戦後間もない時期に開始されたこと (2)「子どもから学び、子どもに教え、子どもの変化からまた学ぶ」こと (3)ローマ字式指文字を導入したこと (4)科学的な体系によりコミュニケーション、点字や教科の学習を行ったこと (5)研究者と本校教員及び寮母による共同教育実践であったこと (6)長期的な実践研究であったこと(昭和23年から昭和45年までの20数年) (7)学校と寄宿舎や盲児施設が一体となって指導実践をしたこと 3 資料概要紹介  本校には、冒頭に記述した盲ろう児3名(A・T男、Y・S子、M・K男)と調査時に発見され間もなく亡くなった男児、及び昭和44年に北海道から入学したS・H子の指導に関わる教材・資料が残されている。資料の概要は次のとおりである。 (1)資料 ア 対象児の使用した点字学習テキスト(点字カード)など イ 対象児が記した日記や学習プリントや触画など ウ 対象児の学習の様子を記録した研究者・指導者の記録など エ 通知表、学級日誌及び寄宿舎日誌など、学校としての記録 オ 対象児と研究者の往復書簡 (2)教材… ア 点字を習得する為に使用した概念形成学習に関わる教材(手触り・位置・方向・順序・形態などの弁別教材) イ 数や点字を使った記号操作学習に関わる教材 ウ 教科学習に使った教材(時間・数・点字・盲児用作図用具・理科・数学・触地図など) エ 発声及び口型に関わる教材 (3)その他… ア 当時の指導をまとめた研究報告書など イ 指導経過をまとめた指導系統図 ウ 記録関係   ・静止画像:学校生活、日常生活【家庭・寄宿舎・その他】等   ・映像:指導の経過を記した16㎜フィルム等   ・録音:発声の過程を記した音声記録など報告書 4 資料公開の実際  この「盲ろう唖教育教材・資料展」の取組は創立90周年の事業後も継続された。盲ろう教育教材資料管理運営規程の制定及び盲ろう教育研究委員会の発足、関係者との話し合いを経て、平成23年1月、すべての資料を本校で受け継ぐことになった。  本校創立90周年記念事業として始めた「盲ろう唖教育教材・資料展」の開催は、創立100周年を迎えた令和元年度、12回を数える。全国の盲学校、ろう学校、盲ろう者団体への情報発信やHP等により、毎年、関心のある方々の来校がある。  「実践当時の関係者の熱い思いに心を打たれた」「緻密に計算された教材や詳細な記録に驚いた」「感動した、大切にして欲しい」といった感想が多く寄せられている。  【図1】位置の学習教材  【図2】指文字によるコミュニケーション(M・K男と中島昭美氏)  【図3】方位角の学習風景  【図4】発声練習の様子(Y・S子と志村教諭)   【図5】保存されている点字資料及び指導記録  【図6】模造紙に記した学習経過一覧表  【図7】 学習指導の基本方針、学習経過一覧表等の展示  【図8】学校敷地の地図、時間のはかり等の展示  【図9】 触画 皿に乗ったリンゴ  【図10】箱の展開図  【資料】第12回「盲ろう唖」教育教材・資料展示リーフレット(令和元年度) 5 資料のデータベース化に向けて  多くの方にこの実践を知っていただくために教材・資料の展示会を開催しているが、経年劣化による資料の損傷が激しいものもあり、破損が懸念される。加えて、我々は教材・資料の単なる保管にとどまらず、その指導内容や系統性を研究し今に生かしたい、という思いがある。校内研究グループにおいて、当時の触画の指導の実践を参考に、現在の在籍児童への指導に取り組むことも行った。 特殊教育総合研究所での整理や本校に教育教材・資料が移管された段階から、校内の盲ろう教育研究員によるデジタルカメラでの撮影、スキャナーによるデジタルデータ化をすすめていた。  この教育教材・資料の存在を知り、その教育実践に関心を示してくださった大学の先生方を『調査協力員』として委嘱し、今後の活用等についての話し合いもすすめてきた。  実際に資料を手に取り、その中身を繙いていたが、原典にはできるだけ手を触れずにその内容を把握するためには電子データ化し、さらにそれをキーワードで検索できるようなシステム構築が理想であるものの、それには莫大な費用と手間がかかることは明白であり、なかなか前に進まなかった。  しかし、この電子化の取り組みに平成30年度、大きな進展がみられた。  かねてより『調査協力員』として活動していただいている早稲田大学教授藤本浩志先生をリーダーとする先天盲ろう児教育資料電子化プロジェクトチームが、科学研究費事業の応募に取り組んでくださった。平成30年4月に早稲田大学教授の菊池英明先生の研究が科学研究費事業に正式採択され、研究の一環で資料を電子化し、データベース化することが決定した。まずは特に劣化の激しい墨字資料を電子化することとなった。既に5年度計画の2年度分の墨字資料電子化が、文化財の電子化等で実績のある専門業者によって行われている。  しかし、点字の教材や盲ろう児本人が書かれた点字の資料、録音や映像の資料、立体模型の教材、写真等の資料については、電子化の目途が立っていなかった。そこで、本校の元校長引田秋生氏を会長とした学校外部の団体である『山梨盲ろう教育資料電子化事業実行委員会』を立ち上げ、募金活動を進めているところである。  全国の盲学校や県内の高校・特別支援学校をはじめとする教育関係団体や個人、日本点字図書館や山梨ライトハウス等の視覚障害者団体、筑波大学をはじめとする特別支援学校教員免許が取得可能な大学、県内の企業や県外の視覚障害者向け製品を扱う企業、山梨県庁職員等、そして、県内在住の盲ろう教育の当事者であるお二人からも心温まる御寄付をいただいた。  また、この盲ろう資料の電子化について多くの報道機関に取り上げていただき、本校において日本で初めて盲ろう教育が行われたこと、本校で学ばれたお二人の方の当時の映像と現在の様子、盲ろう教育資料電子化及びデータベース化の意義を発信する機会となった。  平成30年11月には、山梨県教育委員会の御理解により、盲ろう資料の音声テープの一部の電子化に取り組むことができた。電子化した音声テープは、ヘレン・ケラー3度目の来日に、当時児童だった盲ろうのお二人がヘレン・ケラーに面会したことがきっかけとなって発声発語の学習を始め、その学習の様子を記録したものである。  また、山梨盲ろう教育資料電子化事業実行委員会にいただいた御寄付を使い、現在、点字資料の電子化が進められている。  最終的に、先天盲ろう児教育資料電子化プロジェクトチームによりデジタル・アーカイブ化した成果物は、データーベースを公開していく方向である。  この事業を支えてくださっている多くの皆様に心より深謝申し上げます。 6 おわりに  盲ろう児との関わりは、当時の研究者の言葉を使うならば「人の尊厳に立ち向かう人の仕事」である。研究者たちは、「人間行動の成り立ち」とも言っている。この教育に関わった方々は、これらの盲ろう教育が再現可能なものとして、工夫を重ねながら継承し発展していくことを願っている。  盲ろう教育は、人間の発達過程を事細かに分析し、小石を積み上げるような地道な実践を繰り返している。しかし、人間の行動の成り立ちがどのようなものなのかを把握していなければ、この地道な活動は生きてこない。私たちがこの貴重な、しかも膨大な資料を繙き、自分たちの教育活動に生かしていくとするならば、目の前の行動が成り立っていく部分のみを見ていくだけでは、およそ不十分である。  人間の発達という視点から見たそれぞれの行動の前後のつながり、左右の広がり、継時的な流れなどを全体的に理解していなくてはならない。私たちは、自分たちの実践が人間の発達の今はどの部分にあるのかをきちんと認識する必要がある。あらゆる人間の行動の成り立ちは、この実践のベースになっている理論によって説明することができる。  人間は外界から実に様々な刺激を受けている。その刺激を情報として取り込み、それに対応できるように行動する。取り込んだ情報を、一定の基準やルールによって分類したり、系列化したりして系統的に整理する。この基準やルールが概念というものである。この概念によって雑然とした外界を整理して捉えることができ、人間としての行動が成り立っていくのである。人間は空間や時間を整理して概念化し、その概念化の一つである言語で考え、行動を組み立てる。この人間の行動の成り立ちを理論に基づいて実践をしたのが、この盲ろう教育であると言える。  これは、現代の特別支援教育の現場に十分に生かされている。例えば、次の行動に見通しがもてずパニックに陥っている自閉症児に、時間と場所を構造化し整理することで見通しがもてるようにする。また、場面を整理できず何を見てよいのかわからなくなっている学習障害児に対して、空間を分かりやすく整理して必要な情報だけを抽出させる。これらは、まさにこの実践から導かれるものである。旧くも非常に新しい実践であり、半世紀前から脈々と引き継がれているものだと言える。これらを繙く価値は十分に余りある。  当時の資料を手に取る度に、この実践は現在の特別支援教育の原点であると実感することができる。だからこそ広く公開し、教育活動に生かしていかなければならない。  【写真】  次の言葉が書かれている。  ◇生活は学習の延長に、  ◇手をつけ始めたら最後まで(特にTに於いて)、  ◇計画と実践、くり返しによって成果を生み出す、  ◇機会を把む、  ◇彼女の持つ興味の発見即、学習えの出発点、  ◇種いた種は必ず実るだろう、結果を急ぐな、  ◇普通児を観察せよ、  ◇常に刺激を与えよ、裕樹と努力をもって 7 盲ろう教育沿革史  山梨県立盲学校盲ろう教育の沿革 ~日本の盲ろう教育の先駆的取り組み~ 昭和28年(1953) 点字触弁別実験に成功。 昭和30年 5月(1955) A・T男及びY・S子は、 来日中ヘレン・ケラー女史に日比谷公会堂で対面した。 昭和30年 7月 発声指導を始めた。 昭和32年 7月 (1957) 指文字指導を始めた。 昭和35年 4月 盲聾児 M・K男(男10 歳9ヶ月・千葉県) 入学。 昭和36年 4月 (1961)文部省実験学校に指定。研究課題「盲学校における重複障害教育の管理運営及び盲聾児の指導計画に関する研究」 昭和37年 4月 文部省実験学校に指定。(2年目) 昭和38年 9月 高松宮殿下、 同妃殿下盲聾学級ご視察。 昭和40年 3月 (1965) アメリカ・パーキンス盲学校長・ウォーターハウス博士ならびに国会議員・坂田道太、 同・田辺国男、 同・吉江勝保盲聾学級視察。 昭和40年 4月 文部省実験学校に指定。(5年目) 昭和41年 3月(1966) M・K男小学部卒業。中学部へ進学。 昭和41年 3月 A・T男及びY・S子は別科1年終了、 教育打ち切り。 昭和41年 5月 A・T男及びY・S子は、 盲児施設青い鳥学園に入園。 昭和42年 4月(1967) 文部省実験学校に指定。(7年目) 昭和42年10月 M・K男はアメリカの盲聾者ロバート・J・スミスダスと文部省で対面した。 昭和42年11月 M・K男かな文字学習を始めた。 昭和44年 4月(1969) 盲聾児 S・H子(女・6歳7ヶ月・盲児施設青い鳥学園園児・北海道) 入学。文部省実験学校に指定。(9年目) 平成11年10月16日(1999) 山梨県立盲学校創立80周年記念事業、記念誌に「盲ろう教育50周年」の特集を組むとともに、「盲ろう教育文庫」を設け文献を収集 平成19年 8月 9日(2007) 全国盲ろう教育研究会大会ポスター発表、「山梨県立盲学校 盲ろう教育の沿革~日本の盲ろう教育の先駆的な取り組み~」特別支援教育総合研究所総括研究員 中澤 惠江氏 山梨県立盲学校 校長 引田 秋生 *発表時、中澤氏より当時の教材教育資料が公開された 平成19年12月25日~27日 第1回盲ろう教育教材資料整理(於:特総研) 平成20年 2月29日(2008)  講演会 テーマ「日本における盲ろう教育について」特別支援教育総合研究所総括研究員 中澤 惠江氏 平成20年 2月29日~3月2日 「第1回『盲ろう唖』教育教材・資料展」開催 公開教材資料  約200点 平成20年 5月31日 山梨県立盲学校創立90周年記念式典に併せて記念事業として「第2回『盲ろう唖』教育教材・資料展」開催 90周年記念誌に「盲ろう教育60周年」特集を掲載 平成20年 7月12日 「盲ろう教育研究委員会」を設置 「盲ろう教育調査研究基金」を設立 平成21年 1月 5日~1月 6日(2009) 第2回盲ろう教育教材資料整理(於:特総研) 平成22年 7月28日~7月30日(2010) 全日本盲学校教育研究大会山梨大会において企画展示として本校にとっては、第3回にあたる「『盲ろう唖』教育教材・資料展」を開催、当時の教材資料の全てを展示公開 約2、250点 平成23年 1月19日(2011) 盲ろう教育教材資料管理運営規程制定 平成23年 1月31日 盲ろう教育教材資料管理運営規程施行 平成23年 3月10日 盲ろう教育教材・資料研究実践報告【年報】2011年度創刊号発行 平成23年 7月25日~ 9月9日 第4回「盲ろう唖」教育教材・資料展開催 テーマ「触画工作学習」を巡って 平成24年 3月28日(2012) 盲ろう教育教材・資料研究実践報告【年報】2012年度第2号発行 平成24年 7月25日~ 9月14日 第5回「盲ろう唖」教育教材・資料展開催 テーマ「言葉の概念化に関わる学習」を巡って 平成24年 8月24日 第5回「盲ろう唖」教育教材・資料展開催講演会 テーマ「本校の盲ろう教育実践を繙く~特別支援教育の原点を求めて~」 元筑波大学教授 元山梨県立盲学校長 引田 秋生氏 平成24年10月22日 当時の盲ろう唖教育担当寮母さんを囲んでの座談会 元寮母3名、本校教職員5名、他3名 平成25年 7月29日~ 9月13日(2013) 第6回「盲ろう唖」教育教材・資料展開催 テーマ「盲ろう唖児の学習経過から~学舎一体 寄宿舎の実践~」 平成26年 3月31日(2014) 盲ろう教育教材・資料研究実践報告【年報】2013・2014年度第3号発行 平成26年 7月28日~ 9月12日 第7回「盲ろう唖」教育教材・資料展開催 テーマ「盲ろう唖児の学習経過から~昭和20年代 取り組み当初の記録~」 特別企画展 「塚原等展」塚原氏は、大正8年私立山梨訓盲院を設立し初代校長を務めた。山梨県庁別館内に開館した「やまなし近代人物館」山梨偉人50選に選定された。 平成27年 3月14日(2015) 盲ろう教育教材・資料研究実践報告【年報】2014年度第4号発行 平成27年 7月29日~ 9月12日 第8回「盲ろう唖」教材教具・資料展開催 テーマ「盲ろう唖児の学習経過から ~昭和30年代前半の実践に関わる記録~」(30年~32年Ⅰ) 平成28年 3月14日(2016) 盲ろう教育教材・資料研究実践報告【年報】2015年度第5号発行 平成28年 3月20日 演題「人間 梅津八三 ~息子から見た父親像~」講師 早稲田大学理工学術院教授 梅津 光生氏(工学博士 医学博士) 主催 盲ろう教育教材資料調査協力員 千葉大学名誉教授 市川熹氏、筑波技術大学名誉教授 岡本明氏、早稲田大学人間科学学術院教授 藤本 浩志氏、工学院大学情報学部教授 長嶋 祐二氏、 元山梨県立盲学校校長 引田 秋生氏 平成28年 7月25日~ 9月 9日 第9回「盲ろう唖」教材教具・資料展開催 テーマ「盲ろう唖児の学習経過から~昭和30年代前半の実践に関わる記録Ⅱ~」 平成29年 3月14日(2017) 盲ろう教育教材・資料研究実践報告【年報】2016年度第6号発行 平成29年 7月24日~ 9月 8日 第10回「盲ろう唖」教材教具・資料展開催 テーマ「盲ろう唖児の学習経過から~教師・研究者・寮母の立場から~」 平成30年 3月20日(2018) 盲ろう教育教材・資料研究実践報告【年報】2017年度第7号発行 平成30年 3月22日 山梨盲ろう教育資料電子化事業実行委員会設立 第1回理事会 山梨県立盲学校にて 平成30年 7月24日~ 9月 8日 第11回「盲ろう唖」教材教具・資料展開催 テーマ「盲ろう唖児の学習経過から~教師・研究者・寮母の立場から~」 平成31年 3月22日(2019) 盲ろう教育教材・資料研究実践報告【年報】2018年度第8号発行 令和元年 7月26日~ 9月13日 第12回「盲ろう唖」教材教具・資料展開催 テーマ「盲ろう唖児とのかかわり~後世に伝えたい軌跡~」 75~77ページ  創立100周年記念事業について  盲学校100周年テーマ:みんなで祝おう100周年 みんなで学ぼう母校の歩み 1 組織                                                                                     【平成30年度実行委員会】 実行委員会会長:廣瀬清敏(同窓会長) 副会長:功刀幸雄(教育振興会長)山宮弘美(PTA会長)小松裕子(校長) 委員:小林哲仁(同窓会副会長)佐々木孝幸(同窓会副会長)小沢保弘(振興会副会長)堀口俊二(振興会副会長)細田敬二(振興会副会長)風間 孝司(振興会副会長)城 千春(PTA副会長)宮下奈津子(PTA副会長)  事務局:中込勝也(教頭)木村則夫(教頭)原田義仁(事務長)関 健司(事務次長)河西 晃(教務主任)萩原伸治(中高等部主事)山本恵子(小学部主事)高橋正幸(幼稚部主事)渡邊 孝(生徒指導主事)荒川さおり(進路指導主事)酒井弘充(理療科主任)東森智史(渉外主任)下大川智貴(研究主任)三枝 剛(情報・教養主任) 【平成31年度(令和元年度)実行委員会】 実行委員会会長:廣瀬清敏(同窓会長) 副会長 :功刀幸雄(教育振興会長)宮下奈津子(PTA会長)成田 健(校長) 委員:小林哲仁(同窓会副会長)佐々木孝幸(同窓会副会長)小沢保弘(振興会副会長)堀口俊二(振興会副会長)深澤栄一(振興会副会長)風間 孝司(振興会副会長)渡邉あすか(PTA副会長)金子未来美(PTA副会長)  事務局:中込勝也(教頭)白倉明美(教頭)原田義仁(事務長)後藤貴樹(事務次長)河西 晃(教務主任)中野宏樹(中高等部主事)山本恵子(小学部主事)高橋正幸(幼稚部主事)上原 豊(生徒指導主事)萩原伸治(進路指導主事)酒井弘充(理療科主任)東森智史(渉外主任)三井勝洋(研究主任)三枝 剛(情報・教養主任) 2 記念事業の概況 (1) 記念事業 (ア)記念式典        (イ)記念コンサート       演奏者:NYT 那由多(バイオリン)哲也(ギター) (ウ)記念誌発行      墨字700部、点字50部、デイジー200部 (エ)記念品           記念キャラクター入りクリアファイル【製作協力:有限会社 ハラダ印刷様】、校歌オルゴール【製作協力:有限会社 東洋音響様】、生徒作成木製コースター (オ)祝賀会 (カ)盲学校100周年記念展示会   (キ)記念キャラクター      記念キャラクター選考アドバイザー フィニッシュワーク担当 甲府市在住・美術家 石川智弥様 山梨県立大学准教授 古屋祥子様 (ク)盲ろう資料保存 (2)記念式典   ・期日  令和元年11月9日(土)9:10~10:30   ・場所  山梨県立盲学校 体育館   ・式次第     ①開式の言葉                  ②国歌斉唱                   ③実行委員会会長挨拶              ④校長式辞                   ⑤来賓祝辞                   ⑥来賓紹介並びに祝電披露            ⑦永年勤続職員表彰               ⑧受賞者代表挨拶    ⑨スライド上映    ⑩タイムカプセル披露    ⑪キャラクター紹介    ⑫児童生徒代表挨拶    ⑬和顔愛語の歌披露    ⑭校歌斉唱    ⑮閉式の言葉   ・記念コンサート(10:50~11:50)     NYT:バイオリンの那由多さん、ギターの哲也さんからなるインストゥルメンタルデュオ。地元山梨を中心に全国各地で活動を展開中。   ・100周年記念展示会 3 感謝状贈呈者   株式会社早野組殿  株式会社フレアス殿  アイズアカデミー学院殿  オルゴール寄贈者殿 4 表彰状贈呈者   日野原勇貴殿 斉藤照美殿 東森智史殿 杉田美保子殿 渡邉孝殿 羽田豊殿 吉田朋子殿 荒川さおり殿 保坂秀次郎殿 松本愛殿 竹川理惠殿 川手聖子殿 太田玲子殿 清水たけみ殿 金子妙子殿 吉田寿美恵殿   78~91ページ  記念展示会について  学校創立100周年を迎えるにあたり、平成30年度の校内研究では、『自立を促すための教育的アプローチ』というテーマで、本校の歴史やこれまでに行われてきた教育、学校行事などについて学び、これからの本校の教育について考える取り組みを行った。  学部・寄宿舎の5グループでそれぞれテーマを設け、本校に残っている資料の整理、文献などの調査などを通して、本校の歴史<過去>についてまとめたり、これまでに行われてきた教育内容の振り返りから、今の教育活動<現在>で活用できる教材教具や指導内容表の作成を行ったりした。  各グループのテーマは次の通りである。  「学校行事の変遷について」  「校舎の変遷について」  「全盲児の触察教材について」  「理療科の教材・教具の変遷について」  「学舎一体の取組(盲ろう教育)」   1年間の取り組みを通して、長きにわたる本校の歴史の一端に触れ、本校で行われてきた特色豊かな教育について、改めて知ることができた。また、今回の取り組みで作成した校舎・校章の模型、全盲児の触察教材、指導内容表は、現在在籍する幼児児童生徒の教育、これからの教育においても活用できるものである。  本校も含めて、全国の盲学校では在籍幼児児童生徒数の減少や実態の多様化、教職員の人事異動に伴う専門性維持の困難さなどが課題として挙げられている。100周年に向けた取り組みで学んだ歴史を、今後の教育活動に役立てたり、本校について一般の方や県内外の教育関係者に広く知ってもらったりすることで、本校教育活動の一層の活性化を図っていきたい。       「学校行事の変遷について」 1 調べた内容 ①生徒会行事  100周年を迎えるにあたり、本校生徒会活動の取り組みや、行事の変遷について、校内に残る資料(写真・書類等)を整理・分類、調査した。 ②スポーツ・体育的行事  本校がこれまで参加してきたスポーツ大会や体育的行事などについて賞状や記念誌等から調べ、成績とともに年表にまとめた。 ③オルゴール  オルゴール贈呈の経緯と変遷について、過去の資料をもとに調べた。 2 展示物についての説明 (1)記録写真 1970年代と思われる写真から現代までの写真を整理分類した。その中から何枚かピックアップし、100周年記念展示用にまとめた。(アルバムに収録) 行事写真からは当時の六星祭や学部行事などの様子を窺うことができる。  【写真】 100周年記念展示用にまとめたアルバム (2)スポーツ年表 主なスポーツ大会への出場と、その成績を賞状や記念誌等の資料をもとに年表にまとめた。確認できた最古の記録は昭和25年で、関東盲学校野球大会と陸上競技会に初めて出場したそうだ。  【写真】 出場したスポーツ大会と成績をまとめた年表 (3)オルゴール  平成18年度オルゴール(学校保管)  曲名 「愛の讃歌」  外観 木目調 茶色  外寸 16cm×26cm×8.5cm  内観 内蓋に鏡。中は3つに仕切られている。  メッセージ内容(点字) 「ご卒業おめでとうございます。あなたの上に神様のお守りをお祈りします。」  【写真】 平成18年にいただいたオルゴール 3 調べて分かったこと (1)生徒会行事  平成30年度で第56回を迎えた六星祭について、プログラムや資料を頼りに遡っていくと、本校が現在の下飯田地区に移転した昭和38年に第1回が開催されたと考えられる。初期の資料や写真は発見できなかったが、現存する各年代の六星祭の写真やプログラムを調べて行くと、のどじまんやスルーネットピンポンなど来場された方も参加できるようなイベントがあったり、古本市や花の販売なども行われていたりするなど、特色ある内容が企画されていたことが窺える。 (2)スポーツ・体育的行事  これまでの現存する資料によると、主なスポーツ大会での成績は、7競技24種目において、157回の入賞が記録されている。現在は主にサウンドテーブルテニスや陸上競技などに出場しているが、記録からはグランドソフトボール、柔道、相撲といった種目にも参加していたことがわかった。 (3)オルゴール  平成31年3月現在、55年間に渡り、これまで640個あまりのオルゴールが匿名の女性から送られている。送られたオルゴールは、巣立っていった卒業生を励まし続けている。また、オルゴール贈呈について新聞、テレビ、雑誌等のメディアに取り上げられることにより、山梨県立盲学校の存在が山梨県内のみならず、全国へ知られることとなった。     「校舎の変遷について」 1 調べた内容  ・校舎の変遷と、それに関わる学校の歴史について、開校から現在までの校舎所在地を中心とした年表を作成した。また、年表内の校舎所在地について、いくつかを古地図を用いて示した。  ・現在の校舎について、学校施設案内掲示物や触って確かめられる校舎模型、校章模型の作成を行った。 2 展示物についての説明 (1)校舎の変遷と学校の歴史  <年表>  ・開校から現在までの校舎の変遷と、それに関わる学校の歴史についてまとめた。主に創立50周年記念誌の内容を中心に記載。項目は「年」「校名」「場所」「本校に係わる状況」となっている。  ・年表は時代ごとに5つに分かれており、【山梨訓盲院の設立と私立時代】【県立移管と盲、ろうの分離】【山梨県立盲学校の日向町時代】【飯田町移転】【平成に入って】となっている。  【写真】 校舎の変遷や学校の歴史についてまとめた年表  <地図>  ・「旧百石町校舎」「旧日向町校舎」について、それぞれほぼ同時期の地図に校舎位置を明示した。地図に重ねてあるフィルムカバーには現在ある建物や道路を示しており、当時の校舎の場所と現在を重ね合わせて想像することができるようになっている。   参考資料「甲府市地籍地図」大正12年(1923年)「甲府市地籍図」昭和12年(1937年)  【写真】 旧百石町校舎があった時代と現在を比較した地図 (2)現在の校舎について  <学校施設案内>  ・視覚的配慮や視覚以外の感覚で操作できる工夫など、視覚に障がいのある人が学習、生活しやすい環境になっている現在の校舎について説明している。  ・校舎についての説明は「教室」「廊下」「階段」「体育館」「寄宿舎」「その他」の6項目に分かれており、写真や見出しで配慮点や工夫点を紹介している。  【写真】 現校舎の特徴を示した展示物  <校舎模型>   ・全体像の理解を図るため、校舎配置図をもとにして校舎模型を作成した。細かい部分を省略したり、シール等で昇降口の手ざわりを変えたり、階段部分に段をつけたりするなど、触察した時に直感的に分かりやすいようにした。   参考資料「障害のある子どもの認知と動作の基礎支援-手による観察と操作的活動を中心に-」香川邦生著 教育出版2013年  【写真】 作成した現校舎の模型  <校章模型> ・視覚に障がいがある幼児生徒が、触ることによって校章の形をイメージしやすいように立体にして作成した。 ・糸のこぎりで切ったりくり抜いたりして、校章を忠実に再現した。角や先端などの部分はやすり等でけずり、葉の先のとがった感覚は残しながらもなめらかに触れるように仕上げた。  【写真】 校章の模型 3 調べて分かったこと (1)校舎の変遷と学校の歴史   開校から現在校舎のある甲府市下飯田町に至るまで、様々な変遷をたどっている。第2次世界大戦時は百石町にあった寄宿舎が甲府大空襲で焼け、日向町校舎は罹災者救済のため県病院に接収されるなど、100年の間には様々な出来事があった。  「引っ越し作業は教職員、生徒、保護者で行われた」「疎開中も、厳しい状況の中で教育が続けられた」など、本校に携わった多くの方々のご努力により、今日まで学校の歴史が引き継がれていることが改めて分かった。100周年記念展示会に向けた今回の取り組みで、その歴史の一端に触れられたことは、現在本校で勤務する我々教職員にとって、貴重な機会となった。 (2)現在の校舎について  現在の校舎には、視覚に障がいのある方々が学習や生活をしやすくするため、あらゆる配慮や工夫がなされている。これらの配慮や工夫は障がいのある幼児児童生徒が主体的に学習、生活をするためのものであり、整った環境の中で自立を促す取り組みを今後も引き続き行っていきたい。  これまで本校には校舎の模型や校章模型は無かったが、今回作成した立体模型は視覚の状況に左右されることの無い、触って確かめることのできる模型となっている。これらの立体模型を活用することを通じて、触察の力を高めたり、環境を把握する力を養ったりする一助としたい。  「全盲児の触察教材について」 1 調べた内容  ・幼稚部では全盲児の触察教材に焦点を当てて取り組んだ。  ①触察教材作成 ・「点字学習指導の手引き(文部科学省,2003)」を参考に、点字の導入に向けて幼稚部段階で十分に触察の基礎力を高めるための教材を作成した。  ②指導内容表作成  ・全盲幼児(年少)に対して行った指導のうち、「触ってわかる力を高める指導内容」に係わる内容を整理し、表にまとめた。 2 展示物についての説明 (1)指導内容表「触ってわかる力を高める指導内容」(パネル展示)  ・生後8ヶ月からの教育相談時の取り組みから現在、また今後指導する予定の内容も含め、発達の時系列に沿ってまとめた。指導内容は「感覚運動」「出し入れ・抜き差し」「手指運動」「弁別活動」「構成活動」の5領域に分類して整理した。表の一部を抜粋して次ページに示す。 (2)全盲児の触察教材[手指運動(触運動の統制を中心に)] ・指導内容表中の[手指運動]領域について、発達初期段階から点字教科書に至るまでの教材を10点抜粋して展示し、指導の流れを縦断的に示した。 (3)全盲児の触察教材[弁別活動]  ・年少時に取り組んだ内容を中心として、「軽重」「音」「素材」「長さ」「空間」「大きさ・順序」等、様々な概念を伸長するための教材を14点抜粋して展示し、指導内容の幅を横断的に示した。 (4)学習の様子(授業の記録映像)  ・在籍幼児の学習の様子の記録映像を流した。 3 調べて分かったこと  研究を通して、各領域における発達初期段階から文字学習に繋がる指導の流れを系統的に整理することができた。また、弁別活動の様々な教材例のように、身につけさせたい力(概念)の幅の広さを改めて確認することができた。今後も、このような縦断的・横断的視点から、幼児に何を学ばせたいのか、そのためにどんな教材を作成・使用し、どのように触らせることで「触ってわかる手」「考える力」を引き出していくのかを検討しながら、改良や工夫を重ねていきたい。よりよい授業づくりを目指し、更なる授業力の向上に努めたい。  【写真】 展示物を写した全体写真  【表】 「触ってわかる力を高める指導内容」(一部抜粋して掲載)   「理療科の教材・教具の変遷について」 1 調べた内容  ①理療科教材・教具の過去・現在の変遷について  授業で用いる教材をより良いものにしていくために、教材の過去から現在に至る変遷を調査し、今後の教材作成に生かす。  ②教材の変遷  平面(2D)教材、立体(3D)教材ともに過去から現在にかけて視覚障害を有する生徒が理解しやすいように変化していった。 過去 現在 平面教材(2D) ①教科書の平面図(白黒) ②カラー図(自作) 立体教材(3D) ③市販の模型 ④自作模型2 展示物についての説明(心臓の教材について) (1)平面教材(2D)の変化  ①教科書の平面図(白黒) ②カラー図(自作) ・心臓の各部屋や弁膜、出入りする血管、刺激伝導系等がリアルに記載されている。 ・図に記載されているが情報量多く、何がどこに示されているのか分りにくい。 ・心臓の4つの部屋と弁の名称、各部屋に出入りする血管の名称などをデフォルメ化してシンプルに描写している。 ・視覚障害者にとって概念形成にはシンプルにまとめた図の方が理解しやすい。 【写真】 教科書の心臓の図  【写真】 自作した心臓の図 (2)立体教材(3D)の変化  ③市販の模型 ④自作模型 ・精巧に作られているためリアリティがあり、表面はもちろん内部の触察も可能である。 ・心臓の構造について初めて学習する際は、リアリティさは構造を複雑化させ、概念をつかみにくく理解しにくい。 ・市販模型は他のシンプルな教材で概念形成を図った後、確認等で用いると有効である。 ・カラー図の内容に沿った心臓模型を作成している。 ・心臓の各部屋は箱、血管はホースを用いて作成している。 ・心臓の各部屋、出入りする血管、弁や弁に付属する構造物も触察することができる。 ・この模型で心臓の構造について概念形成を図った後、市販のリアリティある模型で確認する流れが最も学習効率が良い。 【写真】 市販されている心臓の模型 【写真】 自作した心臓の模型 3 調べて分かったこと  過去の教材は教科書等に記載されている図や市販の模型を用いていた。図においてはリアルな描写が、模型においては精巧かつ複雑な作りが逆に情報量を多くし、視覚障害者には分りにくいという課題があった。そこで現在の教材は教科書等のリアルな図を、可能な限りシンプルな描写に変え、しかもカラーで作成することで理解しやすくしている。また模型においても構造を可能な限りシンプルにし、視覚障害者が触ってその構造を理解しやすい自作模型の作成が有効であり、生徒に理解して欲しい部分を強調して分りやすく作成できる。視覚障害者が新しく物事を学ぶには、その概念形成がしっかりと行えるかどうかが重要となる。教材はそのための大きな鍵であり、今後もより良い教材作成を進めていきたい。    「学舎一体の取組(盲ろう教育)」 1 調べた内容 (1)寄宿舎の歴史と変遷 (2)盲ろう教育が行われていた時代と現在の指導内容や生活の比較    今回100周年にあたり、本校寄宿舎の歴史を振り返った時、日本で最初の盲ろう教育における、寄宿舎の役割や寮母の取り組みに注目した。その学舎一体の実践をひもとく中で、寄宿舎の歴史や現在の取り組みについて紹介していきたい。 2 研究内容 (1)寄宿舎の歴史と変遷 盲ろう教育の開始に当たる頃から、現在に至るまでの重要な出来事を年表形式に編集し、寄宿舎教育史の重要な転換点を取り上げた。 ターニングポイント① 盲ろう教育、寄宿舎教育の始まり。養護学校設置義務制と、当時の教員・寮母による不眠不休の指導。 ターニングポイント② 住み込みではなく、交代制の宿直勤務の制度が出来、寄宿舎「星心寮」が完成するなど、システムが確立されていく。 ターニングポイント③ 通学保証のための寄宿舎利用が普及する。土日閉舎が始まり、専任舎監方式が採用される。養護学校義務制の施行により重度重複の生徒が増加する。 ターニングポイント④ 生活指導を目的とした、放課後利用や曜日泊が普及する。 養護(学校)教育が特別支援(学校)教育に、寮母が寄宿舎指導員に名称変更される。それに伴い初めて男性指導員が採用される。  【写真】 昭和29年12月寄宿舎玄関にて 県教育庁指導主事のベルトを触るY.Sと横に立つA.T     【写真】 盲ろう教育初期の写真(うさぎにえさを与える3名の児童と寮母) (2)指導内容や生活の比較(過去と現在の対比)  主に外出の様子、生活指導の様子、余暇時間の過ごし方などに関して比較、検討。寮母が調理員や栄養士も兼ねていた時代と現在の専門性の高い状況の比較、実態把握や記録の方法に関しても進化と変遷について調べた。正確な実態把握のためのスキルチェックや、他の指導員や学校との連携のための記録方法、会議の持ち方などが、常に検討を繰り返され日々進化している。  【写真】 3枚 初期のスキルチェック表・日誌・出納帳  【写真】 現在の活動・外食        【写真】 現在の活動・調理実習 3 調べてわかったこと (1)今回100周年にあたり、山梨県立盲学校寄宿舎の原点ともいうべき取り組みについて学ぶことができた。この取り組みがあればこそ、良き伝統として、「学舎一体」の実践を継続して行えているのではないかと感じた。盲ろう唖学級の教育理念の一つに「生活は学習の延長に」とあるが、その理念は現在にも継承され、寄宿舎教育がその一端を担っていることがうかがえた。 (2)当時の古田寮母の「教育とは愛なくして成立しない。ミクロンの進歩をも喜びとして, 次のステップを信じて待つこと。」との言葉から、舎生への指導の仕方など学ぶべきことはとても多く、この熱意ある指導が現代の寄宿舎教育の礎であると感じさせられた。 (3)今回の学びを元に、現在の指導、教育実践にも活かせる所を反映して、当時の寮母、教員に倣った強い信念を持って指導にあたることができるように、努力・研鑽を積み重ねていきたい。 92~97ページ  職員名簿 平成20年度から令和元年度まで掲載  掲載省略 98ページ  編集後記    創立100周年記念事業の一環として企画された「記念誌」が、多くの皆様のご協力のもと、ここに刊行の運びとなりました。  平成30年度から「みんなで祝おう100周年、みんなで学ぼう母校の歩み」のスローガンのもと、様々な創立100周年記念事業が進められてきました。本誌の編集を通し、山梨県立盲学校100年の歴史を振り返る中で、先達の皆様お一人お一人の熱意とたゆまぬ努力に支えられて、現在の山梨県立盲学校があることを実感いたしました。  また、盲ろう教育開始70周年の節目として、盲ろう教育の特集も本誌に掲載しております。  「令和」という新しい時代の幕開けに、視覚障害教育の拠点としての山梨県立盲学校の新たな100年が始まります。この記念誌が、100年の歴史に学び、今を見つめ、これからの盲学校のよりよい未来を拓くことに役立つ資料となれば幸いです。  本誌刊行に際しまして、ご多用にも関わらず、皆様より快く玉稿を寄せていただいたことに深く感謝し、心より御礼申し上げます。創立100周年記念誌編集係一同     創立100周年記念誌 発行日:令和元年 月 日 編集 :山梨県立盲学校 創立100周年記念誌編集係 発行 :山梨県立盲学校 山梨県甲府市下飯田二丁目10-2 電話055-226-3361 印刷 :株式会社 オズプリンティング 山梨県甲府市中央三丁目8-10 電話055-235-6010 以上 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・