点字の歴史
●点字はいつ頃、どこで作られたのでしょうか。点字の歴史を調べましょう。
 
シャルル・バルビエ(フランス)
 バルビエは、フランス軍の砲兵(ほうへい)士官でした。夜間に命令を伝達する暗号方法として、12点の点字を考えました。1820年の末、盲人用文字として役立つのではないかと思いパリ盲学校にこの12点の点字を持って訪れました。
 しかし、12点点字は文字が複雑であり、読みとるのに多くの時間を必要とするなどで最初は受け入れられませんでした
 
ルイ・ブライユ(フランス)
ルイ・ブライユは1809年にパリの西南のクーブレイという村で生まれました。幼いときに事故で失明しました。当時は盲人は生活をするのが非常に困難な時代だったのですが、両親の努力や周りの人の力により教育を受けることができ、パリ盲学校に入学することができました。
 ここで、ブライユはバルビエの12点文字と出会いました。これまでは盲人用の文字は9センチほどに拡大した凸文字でした。ブライユはまずこの12点点字を習得し、次ぎにこの欠点を改善し盲人用の文字として通用する縦点、横2列の6点点字を考えました。ブライユが14歳の時のことでした。
 ブライユは、アクセント・句読点・略字、数字や音符の書き方を合わせ、1825年に6点点字を完成させました。
 
石川倉次(日本)

 ルイ・ブライユの点字を日本語に翻案したのが、石川倉次です。
 石川倉次は安政6年,遠州(今の静岡県)で生まれました。倉次は師範学校を出て千葉県の小学校の教師をした後に、訓盲唖院(後の東京盲唖学校)に奉職しました。
 ここで、これまで凸文字を使っていることに疑問を持っていた小西信八から、ブライユの点字を日本語の漢字に適用する工夫を依頼されました。
 最初、倉次は6点の間の上下の2点を加えた3点4方の8点点字を考案しました。しかし、小西信八は、あくまでも国際性のある6点点字による翻案を要請しました。ようやく倉次が6点点字をまとめたのが明治23年のことでした。この年の11月1日に正式に採用されました。これを記念して11月1日は日本の点字記念日となっています。

 
日本の点字のその後
 倉次の点字には「ひゃ、ひゅ、ひょ」といった拗音がありませんでした。その後「発音通りに書く」ことを考慮して、明治31年に拗音が加わりました。
 倉次の考案した点字は、その形や配列は変わりませんが、点字で言葉を書くときの方法は時代と共に変わってきました。そこで点字のきまりを作って全国で統一した書き方ができるようにしているところが「日本点字委員会」です。

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